【ポーランドに行ってきた】#5 旧市街への寒い道

さて、ディープすぎる蚤の市を後に、再びトラムに乗り込んで、旧市街へ向かいました。
とはいえ、前回書きましたように、コウォバザールそばのトラムステーションの券売機は封鎖されていて、我々は切符を買うことができません。切符はトラムの運転手からも買えるとの情報を持っていたので、とりあえずはトラムに乗り込んで、プラスチック板の向こうにいる運転手さんに「切符を買いたい」自己主張をしてみました。

トラムのお陰で自由自在に移動できました
トラムのお陰で自由自在に移動できました

しかし、当然ながら運転中は対応しちゃダメなようで、次の停車まで待てと。ここで検札にあったらまんまと無賃乗車ですから、ややドキドキしました。しかし信号停車で、やや慌てた運転手さんから切符が差し出され、無事解決。今はあんまり車内で買う人がいないのでしょうか、それとも突然の平たい顔族からの要求にあせっちゃったんでしょうか。ごめんね、運転手さん。ちなみに運転手さんから買う切符にはあまりバリエーションがなく、選択肢のないまま二時間券あたりを買ったと記憶しています。受け取って、打刻して、ああ安心。

トラムの切符コレクション。時間により金額が異なる
トラムの切符コレクション。時間により金額が異なる

旧市街のそばにトラムステーションがなかったので、地図上で最も近距離にある駅で降りました。ここから旧市街まで、ちょっと歩くのですが、いやこれがまた、知らない道だから遠く感じて、とにかく寒い! 普通は歩いていると体温は上がるものだけど、ここワルシャワの10月末の場合、身体は冷えていく一方。そして日曜日ということもあり、やはり朝9時前はあまり人が歩いていなくて、閑散とした道を歩き続けます。でも旧市街に続く小道は古いヨーロッパの雰囲気が漂っているし、公園は真っ黄色に紅葉していて美しいし、まるでアントワネット様が出てきそうな宮殿が急に現れるし(あ、フランスじゃないけど。ほら、私たちの世代はヨーロッパの歴史はベルばらで学んでいるからさ)。とにかく寒くとも、歩き飽きることはありませんでした。

枯葉の様相がいかにも寒そうでしょ
枯葉の様相がいかにも寒そうでしょ
東っぽさが残るアパートメントがここにも。結構高い。
東っぽさが残るアパートメントがここにも。結構高い。
通りはこんな感じでヨーロッパの風情が漂う。ヨーロッパであるだけに。
通りはこんな感じでヨーロッパの風情が漂う。ヨーロッパであるだけに。
歩行者注意ってことかしら
歩行者注意ってことかしら
ワルシャワ大学ですな
ワルシャワ大学ですな
こんな建物の一階のお店は何かというと・・・
こんな建物の一階のお店は何かというと・・・
なんとアジアンレストラン「メコン」
なんとアジアンレストラン「メコン」
ガッツポーズしてる人
ガッツポーズしてる人
WEEKEND以外の言葉はわかりません
WEEKEND以外の言葉はわかりません
教会の屋根が見えてきました
教会の屋根が見えてきました
ここにも歩行者注意の標識が
ここにも歩行者注意の標識が
庭園到着。いろいろ禁止されている
庭園到着。いろいろ禁止されている
クラシンスキフ庭園は晩秋のヨーロッパ
クラシンスキフ庭園は晩秋のヨーロッパ
枯葉よ〜、という歌ができるわけか
枯葉よ〜、という歌ができるわけか
クラシンスキフパレス
クラシンスキフパレス
解説が1単語もわからない
解説が1単語もわからない

公園を抜けると、裁判所がありました。天秤のマークが掲げられているので裁判所だということはわかるのですが、なんだかキースヘリング風味のペガサス? 馬? のようなカラフルなインスタレーションが、どーん、どーんといくつも置いてあります。

天秤のマークで裁判所だとわかった
天秤のマークで裁判所だとわかった
裁判所の前のインスタレーション
裁判所の前のインスタレーション

このポーランドの旅の間、壁画やインスタレーションを色々と目にしたのですが、どうにもこうにもそにのセンスにちょっと違和感が。ここ、ポーランドは、世界一退屈なボードゲーム「コレイカ(行列)」を発売した国。社会主義時代の配給を受けるために行列していた際の「退屈さ」「理不尽さ」をテーマにした、聞くだけでもつまんなそー・・・なそれは、世界の物好きたちに愛好され、日本語版もあったんですって(ロシアでは発売禁止!)。コレイカにはとっても興味があるし、それをゲームにしちゃうのはセンス抜群だと感じていたのですが、どうも壁画やインスタレーションは「?」と思ってしまうもの多し、でした。

こういう木の感じ、日本にはあんまりないよね
こういう木の感じ、日本にはあんまりないよね

裁判所の向かいには、ワルシャワ蜂起記念碑があります。ブロンズでできた人たちが、銃を手に飛び出してきたところは臨場感たっぷり。

ワルシャワ蜂起記念碑
ワルシャワ蜂起記念碑

ちなみに、ワルシャワでもクラクフでも、歩いていると「あれは何?」というものがそこかしこにあり、近寄ってみると、蜂起に関係するもの、ホロコーストやカティンの森事件に関係するもの、ってことが多かったです。ドイツとソ連という大国の動きに翻弄されまくった歴史について、多少なりとも勉強しておいてよかった。ひとつひとつを見ていくうちに、歴史は授業や物語として取り上げられる過去の記録の一部ではなく、ひとつひとつがその土地、その人々にとって、今生きている私たちと同じ人生、同じ生活の中に、突然ぶっこまれた異常な出来事だったということを、認識させられていきます。そういう意味で、やっぱり興味を持ったなら「そこに足を運ぶ」ことが最も重要だと思うです。私たちの国は島国で、ヨーロッパ間のように気軽に隣国へは行けない環境だし、お金や環境の事情で動けないということもあるけれど、それでもすべての出来事は遠い国の遠い昔のことではなく、明日我が身に起こりうる異常事態と捉えることって、最重要だと思うです。

ワルシャワの象徴、人魚モチーフの絵がたくさん掲げられていた
ワルシャワの象徴、人魚モチーフの絵がたくさん掲げられていた

さて、そのまま歩いてバルバカンに到着です。バルバカンは旧市街をぐるっと取り囲む城壁です。15〜16世紀に使われたものですが、第二次世界大戦で破壊されたものが復元されています。ちなみに、ワルシャワは、大戦で破壊されつくされたのですが、戦後、市民の手により「煉瓦のひびひとつに至るまで」修復されたことが知られています。なんかもうね、こういうスケールの話をわんさか聞いていると、日々の生活の中で何かがちょっとうまくいかなくてクサクサすることなんて、そよ風がふいただけのことでしかないと思い知らされますわ。

バルバカン到着!
バルバカン到着!
当時を彷彿とさせる設備の数々
当時を彷彿とさせる設備の数々
突然馬車が登場
突然馬車が登場

さて旧市街に入って最初にしたかったことは・・・あったかい飲み物をいただくこと。だってもう、骨の髄までガチガチに凍っちゃったんではないかと思うくらい寒かったんです。

残念ながらソフトクリームはいりません・・・
残念ながらソフトクリームはいりません・・・
トイレの案内板がかわいい
トイレの案内板がかわいい

でも、お店が開いていないんです・・・ほとんどが準備中。しかし一件、ザビエカンカの看板が出ているお店の中で準備しているお兄さんが、「開いてないですかー・・」という風体で中を覗き込む我々に、入って入って、というリアクションをしてくれました。う、嬉しい。明らかに準備中なのに、席に座らせてくれ、メニューを見せてくれました。すでにポンチキの朝ごはんを食べてきた私たちですが、ずいぶん歩いたのでお腹もちょっと空いています。ということで、ザビエカンカとスープ、ホットチョコレートを頼みました。

親切なお兄さんが入れてくれたお店
親切なお兄さんが入れてくれたお店

ザビエカンカとは。長〜いパン(バケットよりも柔らかめ)を縦に半分に切って、その上にひき肉やチーズをのっけて、ケチャップをかけたもの。長いピザトーストのような、ポーランドのファストフードです。これは想像以上でも以下でもない味でしたが、スープは名前がよくわからないので当てずっぽうに選んでみたところ、よく煮込まれたもつが入った、ちょっとすっぱいスープで、これがめちゃくちゃ美味しくて。寒かったのも理由のひとつですが、もうポーランドではスープなしで食事が成り立たないとすら思っちゃいました。ホットチョコレートはダーク&オレンジ味を選びましたが、これは結構普通。たぶんインスタント。でも身体はあったまりました。

ザビエカンカ。二人で分けているがあわせて一人前
ザビエカンカ。二人で分けているがあわせて一人前

このお店、お兄さんがきりもりしていて、他に女性が二人いるのですが、いやもうこの女性たちの働かないっぷりといったら。よくアジアの国の食堂に行くと、女性がちゃきちゃき動き回っている割に男性がのんびりタバコをふかしていたりする光景に出会いますが、このお店はまるで逆。私たちの後にイタリア人らしきグループが入ってきて、片言の英語で何か尋ねていたのですが、お店のお兄さんも英語はちょっぴり苦手らしく苦戦している傍ら、「アタシ知らなーい」と思っているような顔でぼんやりその様子を見ている女性二人。昨日のポンチキ屋で親切にしてくれたお兄さんといい、サンプル数は少ないですが、「ポーランド人男性はマメ男」という定義づけがなされました。本当か?

ナゾの壁画が描かれている建物
ナゾの壁画が描かれている建物

お店で十分温まった我々は、この後旧市街を巡りました。それはまた次回。

この標識も歩行者? 下は風船を持った女子?
この標識も歩行者? 下は風船を持った女子?

【ポーランドに行ってきた】#4 トラムに乗って蚤の市へ

さてポーランド滞在2日目。ちなみにポーランドと日本の時差は、サマータイム中は-7時間、通常時は-8時間。やや時差ボケで、朝の4:30頃に目が覚めてしまいました。ちなみに日の出は6:30頃。10月後半でも既に冬の空でどんより。ピーカンって天気はほとんどありませんでした。

ポーランドのヨーグルトにはまる
4:30に起きた私たちは、お部屋で朝食を。前日買ったポンチキ(親切なお兄さんオススメのキャラメルとナッツクリーム)、コーヒー、ヨーグルト、オレンジというラインナップですが、十分贅沢です。ポーランドの食べ物で、最もはまったのがなぜかヨーグルト。日本のよりもずいぶん濃厚で、1カップの量が多く、味のバリエーションもたくさんあって、しかもお安いのよ奥さま。あまりの美味しさに、毎日朝と夜の二回食べるという習慣ができました。

このヨーグルトにはまった
このヨーグルトにはまった

トラムに乗って・・・の前に
朝食を済ませたら、早速外出です。今日はトラムに乗って、郊外ののみの市に行くことに。ヨーロッパでのみの市! 私の頭の中には、かつて愛読していた80年代のananやOLIVEのグラビアで、パリののみの市で掘り出し物を見つけるスタイリストやモデルを羨ましく思っていた日々が、走馬灯のように駆け抜けていきます。きっと私もアンティークの置物やアクセサリーなんかを見つけて、ちょっとふっかけられたのを値切って宝物を手にいれたりするんだわ、と乙女な想像に胸を膨らませていました。ヒャハー!

どんより冬空。でも蚤の市に向けて期待が膨らむ
どんより冬空。でも蚤の市に向けて期待が膨らむ

それとは別に、ホテルを出てまず最初にしたかったことがありました。前日、空港からの車が宿泊ホテルに差し掛かった時にみつけた、壁いっぱいの巨大な壁画の写真を撮りたかったのです。この壁画がなんていうか、ちょいヘタウマなタッチのもので、迷彩服で戦っていたりして、しかもその頭には、いわゆる「鎌と槌(ソビエトの国旗に描かれているあれ)」が描いてあったりと、大国に挟まれて翻弄されてきたポーランドの歴史の一部を語っていると考えられるメッセージ性の強いもの。とはいえ首都ワルシャワの駅のすぐそば、日本でいえば東京駅近くの東京中央郵便局の壁みたいなところに、この漫画チックなタッチがこのサイズで描かれているってのもすごい、色使いが薄くてもインパクトでかい、そんな絵だったです。

これがその、駅近にどどーんと描かれている絵
これがその、駅近にどどーんと描かれている絵

まあ日本でも、最近アニメタッチの絵があちこちに描かれていて、公共交通機関の広告にさえ使われていたりするわけですから、人のことは言えたもんじゃありませんね。というわけでせっかくなのでこの絵を撮影し、トラムの写真を撮ったり、ポーランドでもちゃんと働いているキティちゃんや、白いベストを着たカラスやらを撮影しておりました。

ビルの壁の広告看板にキティ発見。出稼ぎご苦労である。
ビルの壁の広告看板にキティ発見。出稼ぎご苦労である。
ポーランド名物?白ベストを着たおしゃれカラス
ポーランド名物?白ベストを着たおしゃれカラス

そしていよいよトラムに乗って郊外へ
そしていよいよ初・トラム乗車です。私が子供の頃、大阪に住んでいたのですが、やはりこんな路面電車に乗ったことを思い出します。車や人と同じ道を走る電車ってなんだか良いですよね。切符の買い方は事前に予習しておき、きっと販売機ならコインが主流だろうとその分のお金も小銭で用意していたのですが、なんと、チケットマシンでは小銭が使えない罠。でもポーランド語・英語の言語切り替えがちゃんとできたので、気を取り直してお札で購入。チケットは、2時間券とか、1日券とか、有効時間で金額が変わる仕組み。1日の行程があまり決まっていない時は、あまり長い時間のものを買ってしまうとやや損をすることもあるので注意です。乗車したら、車内の機械で乗車時間をチケットに自分で打刻します。それだけ。車掌さんがチェックするわけでも、下車時に時間が自動計測されるわけでもなく、完全に信用で成り立っています。しかし、聞いた話によると、かなり頻繁に抜き打ち検札があるそうな。それにひっかかると、結構な額の罰金を払わせられるので注意です。

トラムのほかにバスも地下鉄もある。これは長距離バスステーションの看板。後ろを走るのがトラム
トラムのほかにバスも地下鉄もある。これは長距離バスステーションの看板。後ろを走るのがトラム
トラムステーションはこんな感じ。番号で行き先を見分ける仕組み
トラムステーションはこんな感じ。番号で行き先を見分ける仕組み
電光掲示板アップ。下から二番目が我々の行き先。しかし順番どおりに来るわけではない
電光掲示板アップ。下から二番目が我々の行き先。しかし順番どおりに来るわけではない

それにしても。よく、無人販売とか、自己申告でお金を払うシステムとかがあると、「これは日本じゃなきゃ成り立たないよね〜」なんてよく言ったりしますが、ポーランドでも成り立っているじゃん! しかも最もメジャーな交通機関でだよ! 東京メトロやJRなんかがこれやったら結構キセル率高くなると思うけどな〜。ポーランドのトラムのキセル率を知りたいところです。

新しいトラムは低床車。古いと色々なところがガタついてたりする
新しいトラムは低床車。古いと色々なところがガタついてたりする
車内はこんな感じ。ドアは自分でボタンを押して開ける
車内はこんな感じ。ドアは自分でボタンを押して開ける
ここに切符を入れて打刻する
ここに切符を入れて打刻する
新しいトラムは行き先案内が親切。古いトラムはまったくなかったりする
新しいトラムは行き先案内が親切。古いトラムはまったくなかったりする

さて、話をトラムに戻して、我々が乗ったトラムは、街の中心からどんどん郊外へと走ります。車内はとっても空いていて、車窓の風景が、中心地のオフィスビルやショッピングモールなどから、住宅エリアへと変わっていきます。その住宅エリアはなんというか、やっぱり東の名残が濃く残っている感じがしました。まったく同じ形状の装飾のない形状の四角いアパートメントがどーん、どーんと並んでいたり。歩いている人々も、ちょっと中心街のそれとは異なってきます。日本でいうなら、銀座の中心から上野・浅草あたりの裏通りに来た感じ。寝癖ジャージで歩いちゃっているような、より私的な生活権というか。しかしそこにヨーロッパの雰囲気を濃く漂わせているのが、日本なら街角にひょっこり現れる小さな鳥居や祠のような感じで、古いマリア像が祀られていたりするところです。やっぱり見慣れないものに目がいきますね。世界の車窓から・ポーランドトラム編は、ちょっと盛り上がらなさそうですがちょっとやってほしいです。

こんな感じの無味乾燥な建物が並んでいたり
こんな感じの無味乾燥な建物が並んでいたり
ドカンと建てちゃった系のアパートメント
ドカンと建てちゃった系のアパートメント
集合住宅。曇り空がよく似合うね。
集合住宅。曇り空がよく似合うね。

かなりディープな蚤の市へ
さて、目的地のコウォ・バザールに到着しました。ここがなんというか、すごい・・・人の様相がまったく異なっていました。あの、マガジンハウス系の雑誌で有名スタイリストさんが訪れていた蚤の市となんだか違う。まず、ヨソ者はまったくいない感じで、観光客然とした人が誰もいない。当然我々平たい顔族は完全にシカトされています。語気がやや荒い、まさに下町の野外市場という様相。そしてなんだかワルシャワ中央エリアよりも寒い。事前の情報収集では、明るい夏の季節に賑わうバザールの写真を見たはず。もしかして夏と冬でテーマが違う? というか客層が完全に変わる? わ、わからないけど、少なくとも、ようこそ私たちのバザールへ!大歓迎!って風にはまったく見えない。

意を決して、まずはバザールの周りを歩いてみます。地面に布を敷き、その上に商品を出しているのですが、店番がいないパターンも多くて、みんな寒いからか自分の車の中で待機していたです。人がこないかを眺めているだけなんでしょうけど、こちらから見ると鋭い目線で外を見張っているように見えてしまい、ややガクブルでした。

売っていたものは、どうみても家にあった古いものをそのまま持ってきたような感じで、銀製品(スプーン、ナイフ、ティーストレーナーなど)、人形や置物(それ売るんかい、みたいなもの多し)、絵(あまり上手なのはない)、キリスト教的なグッズの数々、毛皮、革ジャン、歯医者道具や手術道具(に見えた)、充電器やスタンド(使えそうもない)、レコード、カセットテープ(かなり大量)、古本、古い絵葉書。中にはポーランド陶器やヨーロッパ風の食器、アンティークアクセサリーもあるんですが、なにせ英語が数字すら通じないので、こちらから話しかけてもニコリともせずにポーランド語で何か答えるか、無視。そして奥に進んでいくと、売っているものがさらにディープに。サーベル、銃(!)、ガスマスク、迷彩服、勲章、ソビエトのバッジ、楽器(バイオリンやフルート、チューバ、ドラム、トランペットなど)、そんな感じの、「それって大戦の頃から家にあったものですよね」みたいなのが多し。よく見てみると、バザールの奥は、人もちょっぴりディープ。パイレーツオブカリビアンのようなアイパッチをしたおっちゃんや、かつてはソレを着るのが日常だったような迷彩服を着たちょっとお年を召した集団、絵に描いたような立派なヒゲを蓄えたふとっちょさん、長いスカートを翻して盛り上がっているロマのグループなど。いや、ちょっとカメラを構えて撮影する勇気は出なかった小心者のわたくしでございます。

小心者の私が唯一隠し撮りしたバザールの隅っこ
小心者の私が唯一隠し撮りしたバザールの隅っこ

もっともシュールだったのが、真っ赤な古い車の上に、ガラクタぽいものをたくさんのせて、最上部には日本のどでかい五月人形が鎮座していて、思いっきり大きな音でポーランド演歌を流していたお店でした。これも写真はありませんすみません。いやー、本当に凄かった。なんで五月人形?

ちなみにバザールの近くのトラムの駅では、チケット販売機が封鎖されて買えなくなっていました。ちょっとこれもコワイ。ていうか、OLIVE的なのにも行きたかったけれど、こんなディープな蚤の市に行くことができてホントよかった。ツィタデラに行けなくたってオッケーよ、という気持ちにすらなりました。

さて、バザールですっかり冷え切った我々は、再びトラムに乗って、旧市街を目指します。

【茶臼岳に登ってきた】硫黄が匂う火山は贅沢満載!

栃木県の那須にある茶臼岳(1915m)に登ってきました。

峰の茶屋付近の景色
峰の茶屋付近の景色

茶臼岳・・・なんとなく名前からして、茶色い山を想像していましたが、そのガラガラっとしたイメージはそのままに、びっくりするほど色とりどりの景色が見られる豊かな山でした。山頂部に噴火口があり、あらゆるところで蒸気や火山ガスが噴出している、なんというか生々しい山。頂上付近は岩がゴロゴロのガレ場で、地面に開いている穴に手を近づけると、暖かい蒸気を感じて指が湿ります。岩には焦げたような亀裂が多く見られるし、地球が生きていることを強く感じるところでした。

茶臼岳

その山奥には、珍しいことに温泉があります。歩いて登った人だけが到達できる温泉です。1泊2日の山行でしたが、眺望と、秘境のような温泉、お天気にも恵まれて、夜は満天の星。下山時には雲に環水平アークと呼ばれる薄雲に虹がかかる現象も目にすることができ、非常な幸運でアゴがはずれそうになる反面、私のスマホとカメラがいっぺんに壊れました・・・いつの日にも幸運と不運は両天秤、という言葉をまざまざと思い出すひととき。いや、少しくらいの不幸がないと、安心して幸福を甘受できないのが我々日本人でありますから、ちょうどよかったかもしれません。しかしカメラ機能が両方使えなくなるとは・・・。

ロープウェイでショートカット登頂
早朝東京を出発し、茶臼岳の7合目に位置するロープウェイ駅へ到着したのは10時半。ええ、今回我々はロープウェイで一気に頂上付近まで登るという、一見、お嬢様登山でした。私もお嬢様のつもり満々で、今回はのんびりハイキングかしら、なんて高を括っていたのですが、そんなわけはないとこの数時間後および翌日に思い知らされることに。山奥までは登頂の後が長いので、ここはショートカットして正解でした。

風が強いと止まってしまうというロープウェィ
風が強いと止まってしまうというロープウェィ

ロープウェイは11時出発。なんと車内には車掌さんが同乗し、生声で見所をアナウンスしてくださるというアナログぶりが素敵です。乗車時間は10分もかからず、山頂駅へ到着しました。

山頂駅を降りるとタンポポが咲いていた
山頂駅を降りるとタンポポが咲いていた

そこから頂上までは1時間もかからなかったかと。意外と急坂、石がゴロゴロした道の後は、岩場を登っていきます。隣の朝日岳を眺めながら、なんとなく富士山を思い出させる道をゆっくり歩いていきます。

最初はなだらかに見えた道
最初はなだらかに見えた道
しかしそう甘くはなかった・・・
しかしそう甘くはなかった・・・
あっという間にガレ場に
あっという間にガレ場に
でも左を見れば水墨画のような景色が
でも左を見れば水墨画のような景色が
岩場をずんずん登ります
岩場をずんずん登ります
振り返るとこんな感じ
振り返るとこんな感じ
どさくさについてきたテントウムシ
どさくさについてきたテントウムシ
右側はこんな緑の景色
右側はこんな緑の景色
を、眺めながら岩場を歩きます
を、眺めながら岩場を歩きます
お向かいには朝日岳。山頂にいる人が見えるよ
お向かいには朝日岳。山頂にいる人が見えるよ
富士山を思い出させる斜面
富士山を思い出させる斜面

到着した頂上は、人、人、人で混雑していました。見ると、登山スタイルではない方も半分くらいはいる感じ。ここから噴火口のお鉢周りをして下山するだけなら、普通の靴でも大丈夫かと思います。ただ・・・茶臼岳は風が強いことで有名で、風がふくとロープウェイが止まってしまうそうです。ですので、往路はロープウェイで来られても、帰りは止まってしまう可能性も。そうすると、自力で下山となり、そこはやっぱり登山靴じゃないとキツいかと思います。ギリギリスニーカーでもいけるかもしれませんが、ハイヒールは無理でしょう・・・。登山ではなく茶臼岳に観光に行かれる方はお気をつけてくださりませね。ちなみに今回の故障第一弾、スマホは頂上付近でフリーズして壊れました(帰宅後には復活した不思議!)

噴火口とその周りの道
噴火口とその周りの道

山頂から峰の茶屋を経て樹林帯へ
さて、この日はなんとほぼ無風。そよいでも微風。ですので、帰路の心配をすることなく、頂上付近を普通の靴の人たちも歩いています。お鉢周りの道はまるで巡礼道のような雰囲気。お昼を食べて、山頂の神社で手を合わせてから、我々もその巡礼の道を歩きます。

こんな穴がたくさんあって、控えめに蒸気が吹き出している
こんな穴がたくさんあって、控えめに蒸気が吹き出している
これが山頂神社の鳥居
これが山頂神社の鳥居
そして祠。山岳信仰も奥が深い・・・
そして祠。山岳信仰も奥が深い・・・

なんというか、山の規模が脈々とおおらかで、ものすごい開放感があります。木がなく、石がごろころで、硫黄が地面を黄色に染めていたり、鉄分が多そうな赤茶けた土のところがあったりと、行ったことないけど火星に来ちゃったような。でも視界に入るすぐそこいらの緑の山の斜面は、まるでジュリーアンドリュースがサウンドオブミュージックを歌いながら駆けてきそうだったり。とにかく視界に「慣れ」が生じないんです。

同じ目線の山なのにまったく異なる風景
同じ目線の山なのにまったく異なる風景
こんな岩場が続きます。こけないように注意
こんな岩場が続きます。こけないように注意
煙が出ている場所は少し危険
煙が出ている場所は少し危険
こんなところを歩いても周りの山は緑だったりする
こんなところを歩いても周りの山は緑だったりする
なんとも原始的な風景が楽しめる
なんとも原始的な風景が楽しめる

しばらく岩ごろごろを歩くと、峰の茶屋にたどり着きます。ここは茶屋とはいえ実は避難小屋。ここからさらに歩くと、ちょっと危険な斜面歩きを経て、今度は樹林帯に入ります。ここからはやや蒸し暑くなってきますが、今度は様々な花を見つける楽しみがあります。オオカメノキ、マイヅルソウ、イワカガミ、ヤマツツジなどが、緑の中にピンクや白の美しい姿を見せてくれました。ちなみに茶臼岳の登山道には一切トイレがありませんので、文字どおり「お花摘み」とか、いろいろと覚悟も必要です。

赤い屋根が峰の茶屋
赤い屋根が峰の茶屋
なんだかもう、見たことない山だったよ
なんだかもう、見たことない山だったよ

こんな山間を下っていくと
こんな山間を下っていくと
ちょっと危険な斜面にあたり
ちょっと危険な斜面にあたり

少しずつ緑が増えてきます
少しずつ緑が増えてきます
そして樹林帯に突入。いきなり蒸し暑い!
そして樹林帯に突入。いきなり蒸し暑い!
ヤマツツジの色が濃い
ヤマツツジの色が濃い
これは西洋タンポポでした
これは西洋タンポポでした
スミレも咲いています
スミレも咲いています
イワカガミ発見
イワカガミ発見

山小屋のステキ露天風呂
アップ・ダウンの道を経て、いよいよ温泉付きの山小屋に到着です。露天風呂は基本的に混浴ですが、夕食前までの数時間は女性専用になるとのことで、到着するや否や露天風呂に向かいます。この風呂がですね、外の階段を登っていくと、あらあら艶かしい入浴中の女性たちが丸見えです。お風呂から立ち上がると、下を歩く人たちが見えるということは、あちらからも見えるということで。しかしこの露天風呂からの景色が素晴らしい! 遮るものがなく遠くの山が視界に広がり、雲の合間から太陽が射して、夕刻の空に神々しい光の風景が見られます。しかもひとっ風呂あびながらですのよ! お湯の温度もちょうどよく、よく手入れがされていて、歩記続けた足の疲れがみるみる取れていきます。景色の開放感が気持ちにも染みてくるよう。温泉街の温泉ではこうはいかないでしょう。

三斗小屋には宿がふたつ。私たちが泊まったのは煙草屋旅館
三斗小屋には宿がふたつ。私たちが泊まったのは煙草屋旅館
これが! 世にも素晴らしい露天風呂
これが! 世にも素晴らしい露天風呂
どうです?! こんな景色を見ながらお風呂だすよ!!
どうです?! こんな景色を見ながらお風呂だすよ!!
素朴な晩御飯。しかも16:30から
素朴な晩御飯。しかも16:30から
そして日の入りにはこんな夕焼けが
そして日の入りにはこんな夕焼けが

夜は21時で自家発電が切れ、消灯になるのですが、頭上にはびっくりするほどの満天の星が。こんなに見えることって、そうそうないんじゃないかと思います。いつまでもいつまでも眺めていたくなったけど、さすがに山間部の夜は冷え冷え。手足が冷え切らないうちに部屋に戻って布団に潜り込みます。朝早かったこともあり、早々に眠りにつきました。

これは朝4時に出ていた明るい月
これは朝4時に出ていた明るい月
テントでも宿泊可能です
テントでも宿泊可能です
夜があけました。気持ち良い!
夜があけました。気持ち良い!
朝ごはん。もりもり。
朝ごはん。もりもり。
お風呂のルールが複雑で覚えられない
お風呂のルールが複雑で覚えられない
お部屋はこんな。お布団が一人ひとつでゆったり
お部屋はこんな。お布団が一人ひとつでゆったり
登山靴はインソールを上げて湿気をとっておくのがコツだそう
登山靴はインソールを上げて湿気をとっておくのがコツだそう

二日目はさらに快晴! しかし・・・
翌日は前日よりもさらに快晴! 雲ひとつない完璧な青空が広がっています。朝食を食べてから出発は朝7時半。まずは昨日と同じ樹林帯をずんずん分け入っていきます。岩だらけのすごい急坂を下り、また登り、下り、登りを繰り返す。そして歩きに歩いたその先で、パッと景色が開けます。

快晴!!! 気持ちの良い朝!!!
快晴!!! 気持ちの良い朝!!!
いがいときついアップダウン
いがいときついアップダウン
本日もイワカガミの群生に遭遇
本日もイワカガミの群生に遭遇
いろいろな色があります
いろいろな色があります
これはサラサドウダン
これはサラサドウダン
これはオオカメノキ
これはオオカメノキ

ここは360度の素晴らしい眺望! 目の前には硫黄を含んだ蒸気がもくもくと吹き出している茶色い山、背後は深い緑の山脈。すばらしい風景でありながら・・・なんとこのタイミングでカメラのモニターが真っ暗になり、シャッターが下りなくなりました。ええ、故障第二弾はカメラです。この手持ちのデジタル製品がことごとく壊れていくという怪奇現象。硫黄ガスのせい? 単に私の扱いが荒いせい? スマホもカメラも使い始めて3〜4年くらい。これまでそんな故障が発生したことありません。なんと2台とも(しかもカメラ機能がついているもが!)使えなくなるなんて、なんだか不思議というか不気味です。キリマンジャロで使わなかった「写ルンです」を持ってくるんであったと少し後悔!

なのでここからは写真がありません。樹林帯を抜けてからはまた開放感が素晴らしく、地熱を身体で感じながら、地球の鼓動を聞いているような、なんともプリミティブな山歩き。ガスがもくもく出る付近を通りながら、ここらへんまでくると普段着+普通の靴の人たちも多く歩いています。しかし道は立派な登山道で、滑りやすく、ちょっと気を抜くと滑落の危険もあるような細い道を歩き、1日目に通った峰の茶屋へ。下山はロープウェイを使わず、ガラガラの道を歩いて下りました。写真がないのは残念ですが、その分景色を余計に見たような気がします。最後は長い階段で、やや段差が高く、キナバル山の下山を思い出しました。そして下山後、頭上には、環水平アークと呼ばれる、雲に水平の虹がかかる現象が。ついでに太陽の周りにもぐるっと虹が出ていて、なんだか不思議な様相でした。ちなみにこんなとき、私は「きっと良いことがある!」と思うのですが、「災難の前触れ」と思う方も多いですね。ポジティブシンキングですよ、ポジティブに!

なお、スマホは自宅に戻って「裏技の強制リセット」を実行したらあっさり復活。しかしカメラはどうにもこうにもならず、今週末から入院してきます。6月は月末にアルプス縦走が控えているので、それまで人間ドッグならぬカメラドッグのつもりで養生してもらうことにしましょう。思えば二つとも、私と一緒に山に旅に出かけているんですもんね、ちょっとお休みも必要だったってことでしょうかね!

【ポーランドに行ってきた】#3 気温マイナス3度、サマータイム終了のワルシャワへ

ワルシャワ到着
そんなわけでワルシャワに到着しました!
ワルシャワの空港の名前は「ショパン空港」。ポーランド出身のショパンにちなんだ、なんとも優雅なネーミングではないですか。日本で言えば「サカモト空港」ってところでしょうかねー。ショパンは非常にきれいで設備も整った空港です。イメージの中にあった、ワルシャワのちょっと暗いイメージを微塵も感じさせません。

ワルシャワ空港の中。清潔で心地よい空港
ワルシャワ空港の中。清潔で心地よい空港

初ヨーロッパということで、タクシーはぼったくりが、空港からのバスはスリが多いという前情報を鵜呑みにして、到着時だけは空港送迎を予約しておきました。初めての国で、一番最初に不愉快な思いをするのはかなわないわーと思ったもので。それでも、知らない国で知らない人が待っているというのは、緊張するものです。私たちを待っていてくれたのは、ワルディックさんという恰幅の良い男性。英語はあまり話せないようでしたが、ニコニコと感じがよく、遠目で見ても人の良さが滲み出ていました。ホッ。

入国して最初にしたことは、ATMでお金をおろすこと。かつて海外では、両替屋での両替が主流でしたが、最近では国際カードを持っていればバンキングもキャッシングも現地通貨でできてしまいます。手数料はかかるけど、両替レートを考えるとそちらのほうが安くつく場合が多く、私は今回初めてATMを使ってみました。これがとっても便利。両替は慣れない通貨を数えるのが結構むつかしいし、計算機片手に確認するのも大変です。しかしATMなら明瞭会計、機械で指定すれば、ちゃんと指定の金額がきっちり出てきます。旅のストレスはひとつでも少ないほうが良い。技術の発展にブラボーです。

もしポーランドで両替するなら、KANTORという看板の両替所へGO
もしポーランドで両替するなら、KANTORという看板の両替所へGO

ワルディックさんの運転する車に乗って、ワルシャワ市街地まで移動します。標識も何もかもポーランド語。はじめて見る広告塔。途中途中で無機質な真四角の建物が並んでいたり、ショパン空港のイメージばかりではないワルシャワが少しずつ見えてきました。

当然、標識はポーランド語なので読めません
当然、標識はポーランド語なので読めません
いわゆる広告塔。「○○の広告塔」という抽象表現でしか認識していないけど、これが元祖。
いわゆる広告塔。「○○の広告塔」という抽象表現でしか認識していないけど、これが元祖。

ワルシャワのホテル
ワルシャワ前半の宿泊地は、メルキュール・ワルシャワ・セントラム。フランス資本のアコーズ・ホテルチェーンです。ワルシャワ後半ではノボテルに泊まったのですが、ここも調べてみたらアコーズのチェーンだったです。ポーランドでのホテルを選ぶにあたっては、大型のホテルチェーンと、地元経営のこだわりホテルとの比較で悩みました。我々の出した結論は、途中移動して宿泊するクラクフでは地元のアパートメントタイプにチャレンジして、前後はある程度安心できそうなホテルチェーンに泊まるというものでした。一人旅ならいつものアジア旅と同じく多少無謀なことでもするかもしれませんが、今回はあまり旅慣れていない姉が一緒ということもあり、アクシデントの種はできるだけ避けようと考えたです。

さてメルキュール。お部屋は広く、明るく、清潔で、言うことナス。しかしお風呂がなかなか流れないのよう・・・。バスタブがあるだけありがたいのですが、ユニットバスは一人入る毎にお湯を抜かなければならず、そのお湯が中々流れていかないので、お風呂待ちのインターバルがやけに長くかかりました。ヨーロッパの人はシャワーで済ませてしまうからなんでしょうかねー。でも立地は最高で、ワルシャワ中央駅からショッピングモールを抜けてすぐ裏手。夕方早くに暗くなるこの季節には、あまり不便なところに宿泊するのは困りものです。

これがメルキュールの室内。モダンです
これがメルキュールの室内。モダンです

ツィタデラへは行けなかった
そんなわけで、衣服を着込んで出かける準備です。マイナス3度とまではいかなくても、外はゲキ寒。顔以外は外に出ていない完全防備で準備して出掛けます。まずはホテルのフロントのお兄さんをつかまえて、ツィタデラのオープン状況を尋ねます。ツィタデラとは・・・ワルシャワ市街地のはずれにある監獄要塞跡です。いきなりダークですね。でも見に行きたかったんです。帝政ロシア時代にポーランドの反乱を制圧するために築かれたというその施設を。

ワルシャワのツィタデラ情報(Wikipedia/英語)

ツィタデラ公式サイト(ポーランド語)

ツィタデラは、一部が博物館として公開されているそうな。入り口の名前は「死の門」。調べたところによると、監獄としても使われていたとのことで、囚人移送車や独房が展示されているとのこと。私たちはこの旅行の間ずっと、ポーランドが、両隣の大国との軋轢で、近年までどのような目にあってきたのかを、事細かに目にしていくということになるのですが、最初に行こうとしていたのがツィタデラというのがなんとも象徴的。しかしそこはリノベーション休業中・・・。フロントのお兄さんは、「他にも見所はたくさんあるじゃない! どこに行きたいの?!(わざわざツィタデラなんざ行かなくてもよかよ)」という反応で、親切心からショパン的な観光名所をお勧めしてくれるのですが、ツィタデラ休業というのはもしかしたらお兄さんの情報検索不足じゃないのぉ?と疑ってかかった私たちは、この後、ツーリストインフォメーションでも同じことを尋ねて同じ答えを受け取り玉砕するのでした。お兄ちゃん、疑ってゴメン。

ホテルのすぐそばにあるワルシャワ中央駅
ホテルのすぐそばにあるワルシャワ中央駅

文化科学宮殿へ
気を取り直して外に出てみます。まず目指すのは、すぐ近所にある「文化科学宮殿」。これはスターリンによってポーランドに寄贈されたもので、スターリンゴシックと呼ばれる、世界有数の建築様式だそう。このワルシャワのランドマークとも言える立地にあるご立派な建物、ポーランドの人々は、ソビエト支配の象徴として嫌悪しているのだとか。ポーランドジョークには、どこにいくの? 文化科学宮殿さ、なぜならあの建物を目にしなくて済むからね、ってのもあるそうなので、よっぽどのイヤゲもののよう。

曇り空がよく似合うポーランドの街並み
曇り空がよく似合うポーランドの街並み
宿泊ホテルからすぐ近くにこのような重厚な建築物が
宿泊ホテルからすぐ近くにこのような重厚な建築物が
夜にライトアップされている文化科学宮殿
夜にライトアップされている文化科学宮殿
1955年のエンブレムが・・・
1955年のエンブレムが・・・

よくよく見ると、周囲を取り囲む像が持っている本に、マルクスとかエンゲルスとかレーニンとか書いてあったり、社会主義の雰囲気満載。でも一階はツーリストインフォメーションで、各国語の観光パンフレットが充実、問い合わせには親切なお姉さんが対応してくれます(ツィタデラ情報もくれる)。宮殿の上は展望台になっていたり、中には博物館があったりですが、我々はとりあえずそこは入らず、ワルシャワの街歩きを楽しむことにしました。

周囲にはこんな風な像がたくさん立っていて
周囲にはこんな風な像がたくさん立っていて
手に持った本には「マルクス・エンゲルス・レーニン」が。これぞ社会主義
手に持った本には「マルクス・エンゲルス・レーニン」が。これぞ社会主義
宮殿の前にはショパンの国であることを思わせる鍵盤の横断歩道が!
宮殿の前にはショパンの国であることを思わせる鍵盤の横断歩道が!

ワルシャワ散策
ワルシャワ中心街には、H&Mやらおしゃれレストランやらが並び、賑わっています。若い子たちはみんな、ダウンとスキニーをあわせてとってもおしゃれ。おばさまがたも、ハイヒールに鮮やかなコートを纏っていたり、寒い街ながらもきらびやかです。ただ男子は、おしゃれというより無造作にフードをかぶったパーカーの人が多かった。あまりの多さにエミネムと呼んでました。後で出会う在住日本人の方に、ポーランドの人たちみんなおしゃれですねと言ったら、おしゃれなのは外国人よう、ポーランドの人はなんていうかちょいダサよう、と言われました。あちらの方が平たい顔族を見分けられないように、私たちもヨーロッパ人を国ごとに見分けることはできません。よって誰が外国人なのかもよくわかりませんが、よく注意してみると地元っ子ぽい人はそんな気も・・・・。なんて人間観察をしながら歩くのは楽しいのですが、ワルシャワ市街地でも、ちょっとはずれを歩くとさびれている通りもあり、半地下のレストランやらカジノやら、ちょっと近寄りがたい雰囲気もあったりします。

これは文化科学宮殿隣接のミュージアムテクニキ。科学博物館
これは文化科学宮殿隣接のミュージアムテクニキ。科学博物館
東欧名物トラバントではないけど、クラシックな車。カクカクしててカッコイイな。
東欧名物トラバントではないけど、クラシックな車。カクカクしててカッコイイな。
こんな四角カクカクの建物が多い。かなり好み。
こんな四角カクカクの建物が多い。かなり好み。

寒いので目に付いたカフェに入りました。この地にもスタバはあるのですが、なんていうか非常に暗くてさびれていて、入りにくかったです。代わりにイギリス資本の「カフェ・ネロ」があちこちにあります。結構お値段が高めなのですが、旅の間も、寒さに耐え切れず何度か飛び込みました。ここでポーランドでの初めてのお茶タイムでしたが、お店の中は若者で賑わっていました。その若者たち、すごく喋っているんです。日本だと、カフェにいてもスマホいじっている人が多いですよね。ちなみにマレーシアやインドネシアでも、すでにそんな感じでした。しかし、ポーランド人もスマホは持っているんですが、とにかく喋ってる! そしてカップルはイチャイチャ! 挙句に、私たちの平たい顔に興味を持った男子が「チャイニーズ?」私「ノー、ジャパニーズ!」男子「オー、おはよございまーす!!」と話しかけてきました。でも嫌味じゃなく、純粋に興味を持ったから声かけたって感じでした。ここでお茶していると、なんだかこう、異国に出かけた心細さが、ふっと吹き飛ぶ感じがしました。

カフェネロで一休み。大きいケーキは濃厚で美味しい!
カフェネロで一休み。大きいケーキは濃厚で美味しい!
再び歩き出すと15時過ぎですでに夕暮れ時
再び歩き出すと15時過ぎですでに夕暮れ時
雰囲気たっぷりの建物。一階は店舗、上は住居みたい
雰囲気たっぷりの建物。一階は店舗、上は住居みたい
ああポーランド語がわかればベストセラーがわかるのに・・・
ああポーランド語がわかればベストセラーがわかるのに・・・
本屋さんの前で花が売っている
本屋さんの前で花が売っている
カフェの看板代わりの自転車
カフェの看板代わりの自転車
ヨーロッパに来たことを実感する街並み
ヨーロッパに来たことを実感する街並み
この通りは広くて人が多く、安全だったのでよく散策しました
この通りは広くて人が多く、安全だったのでよく散策しました

ポンチキとスフィンクス
16時頃から、日が沈んですでに夜のようでした。これが東欧の冬時間なのね。歩いていたら、ポンチキやさんを見つけました。ポーランド名物のジャム入りドーナツです。明日の朝ごはんに買っていこうか、と何気なく眺めていたら、後ろから背の高い男性がにゅっと現れ、ポーランド語で書いてあるポンチキの味を解説しはじめました。な、なんと親切な。でもメニューがありすぎて覚えられないってば。ということで、オススメは? と聞いてみたところ、名物のバラジャムではなく、ナッツ味とチョコ味を勧められました。じゃあそれを買おうと列に並んで、いざ順番が巡ってくると、またもや横からにゅっと現れ、私たちの代わりに注文してくれました。な、なんと親切な。お金を払って、ポンチキを受け取ったら、あらまあその男子ったら、名前も名乗らず行ってしまうではないですか。カックイー。いや、その切はありがとうごさいましたと言いたいです。こんな感じで、今回は旅の間、結構な頻度でポーランド人に親切にしてもらいました。鎌倉幕府よりイイクニよ。

(後日行ったら休みだった)人気のポンチキ屋
(後日行ったら休みだった)人気のポンチキ屋
看板とお揃いのポンチキ包み紙
看板とお揃いのポンチキ包み紙
翌朝の朝ごはん。ポンチキは冷めても美味しかった!
翌朝の朝ごはん。ポンチキは冷めても美味しかった!

到着直後から歩き回ったので、この日はルクソールという室内が暗めだけどお手軽なレストランで、スープとステーキプレートで夕食を済ませました。このとき身体が冷えきっていたこともあり、スープがとにかく美味しくて、ポーランド滞在中、ずっとスープばかり飲んでいた気がします。

1日目の夕食。ここでポーランドのスープのとりこに
1日目の夕食。ここでポーランドのスープのとりこに
このあと何度も来てしまうお手軽レストラン、なぜか名前は「スフィンクス」
このあと何度も来てしまうお手軽レストラン、なぜか名前は「スフィンクス」

色々な意味であったかい気分になった我々は、カルフールでヨーグルトやチョコレートを買ったりしながら、ホテルに戻ってポーランド1日目を終えたのでした。

駅からはバスがたくさん出ていた。今度はこれに乗ってゆっくり旅したいなー
駅からはバスがたくさん出ていた。今度はこれに乗ってゆっくり旅したいなー
駅前にはハードロックカフェ・ワルシャワが! でも品揃えはイマイチでした
駅前にはハードロックカフェ・ワルシャワが! でも品揃えはイマイチでした
ポーランドの夜。デビッド・リンチの「インランド・エンパイア」を思い出す・・・
ポーランドの夜。デビッド・リンチの「インランド・エンパイア」を思い出す・・・
文化科学宮殿とともに、おやすみなさい
文化科学宮殿とともに、おやすみなさい

【ポーランドへ行ってきた】#2 カタール航空ドーハ経由ワルシャワ行き

無事に羽田を発った私たちは、機内で寝たり食べたり喋ったり映画観たり本読んだりと、やることには事欠かずに過ごしました。しかし心配事がひとつ。ドーハでのトランジットです。

ちなみにドーハはこういう漢字を書くらしい
ちなみにドーハはこういう漢字を書くらしい

トランジットの時間は1時間45分。飛行機が遅れさえしなければ、待ち時間もなく、ちょうど良い時間です。しかし、前情報によると、ドーハ空港はとてつもなく広いとか。そして中東ということであれば、それなりに警備も厳しかろうです。荷物を検査されたり何やらで、もしかしてここで最初のトラップにかかるのではないかという心配がありました。

キリマンジャロ編でも紹介した、ドーハ空港名物の黄色クマ
キリマンジャロ編でも紹介した、ドーハ空港名物の黄色クマ

ちなみに、カタール航空では、トランジットの時間が短い人とそうでない人のチケット袋の色が違います。時間が短い人はオレンジ色。私たちの袋は黄色。決して、アラートがあがるほど短いわけではないようです。が、油断は禁物。目的地に着く前にいらん苦労はしたくないものですので、できるだけ早く飛行機を降りようと、前のほうのシートを指定したり、できる予防はしていました。

黄色のチケット袋「それほど余裕ないわけじゃない」のしるし
黄色のチケット袋「それほど余裕ないわけじゃない」のしるし

ドーハが近づいてくると、窓から地上が見えます。砂漠らしきもの、埋め立てられたリゾートらしきもの。そうしているうちに、隣に座っている男性となんとなく話すようになりました。男性は、ギリシャ人。エジプト生まれ。造船業の作業員として、日本の広島で働いていたそうです。シーズン毎にあちこちの国でお仕事をされているようで、今回はドーハ経由での帰国とのこと。そして彼のトランジット時間は20分ですと! それは普通に考えても無理な気がしますが、彼はお気楽そのもの。このあたりにラテンとそうでない気質の差が表れます。

一回めの機内食。豪華ではないけど美味だった!
一回めの機内食。豪華ではないけど美味だった!

なぜポーランドに行くんだい? と聞かれたので、我々は歴女なもので、と答えたところ、親しみを持ってもらえたようで、Facebookで繋がろうとお互いのユーザ名をおしえあったりしました。一昔前なら、ハガキを送るための住所、近年はメアド、そして最近はFacebookが主流ですね。自分の旅行歴をふりかえって、便利な世の中になったことを実感するひとときです。

飛行機の高度が下がってくると、ドーハの高級ホテルが林立しているのが見えてきます。さすがオイルマネー。とつぶやくと、その彼が言います。
「そう、オイルマネーだね。でも知ってる? ギリシャもオイルマネーに溢れているのさ」
「ええっ、ギリシャって経済ヤバかったんじゃなかったっけ」
「いーや、オイルマネーでばっちりさ。ただしオイルはオイルでもオリーブオイルだけどな、ドワハハハハハハ
・・・ギリシャジョークかよ。さすがオリンポスの神々が居た国のジョークは一味違います。

そして離陸の時。ギリシャジョークの彼は、シートベルト着用サインが消えるなんて関係なく、荷物を降ろしてズンズン前に進んでいきました。そして後日、無事Facebookで繋がった我々は、後日談を聞いたところ、やっぱり乗り遅れたそうです。そしてその足でカタール航空にクレームを入れ、ラウンジが使い放題だったぜ! とのこと。まあそのあと滞りなく家に帰ったようなので、万事オーライでしょう。

おお。アラビア語表記が!
おお。アラビア語表記が!

そして他人事ではなく、私たちも乗り遅れるわけにはいきません。まず定刻どおりに到着したことでスタートはクリア。国際空港はだいたい世界共通で、案内がわかりやすくなっているものですから、案内板どおりに進んでいけば道に迷うことはありません。途中、アラビア文字の表示が珍しくて写真を撮る余裕すらありました。荷物検査の列もスムーズに動き、案内板でトランジットゲートを確認。自分で見つけなくても、モタモタしている人用にちゃんと案内人が教えてくれます。

ゴミ箱の分別のアラビア語
ゴミ箱の分別のアラビア語

ゲート番号がわかったところで、ちょっとお店でも見ちゃおうかしら、なんて心が生まれますが、まずはゲートを確認してからと思って、ずんずん歩きます。ずんずん、ずんずん・・・・・やばい、やっぱりちっとも着かない。歩けど歩けど、スケールが大きすぎて、ちっとも到着しないじゃないのーーーー。出来心から寄り道なんてしなくて本当によかった。結局ゲートに着いたのは、ゲートオープンの10分前を切っていました。こえええ。

トイレ前の非常口表示もアラビア語
トイレ前の非常口表示もアラビア語

ドーハ空港では、無料でWifi接続ができたので、まずは到着の無事を知らせます。ポーランドを含め、このあと立ち寄る公共施設はほとんどWifiが無料で使えて本当に便利でした。トイレをすませると、ゲートに列ができています。どうやら、搭乗口まではバスで向かう方式のよう。私たちも列に並ぶと、ゲートのモニターに「ワルシャワ 気温-3度」という表示が・・・。うそお。寒い寒いとは聞いていたけど、10月後半でマイナスですか。これはちょっと油断してきちゃったかもしれないなー。旅行中は荷物を減らしたいがために着たきりスズメを決め込む私ですが、今回は持ってきた服を全部毎日着る、いつもよりさらなる着たきりスズメになりそうです。

2回目の機内食。これも美味かった。
2回目の機内食。これも美味かった。量が多すぎず絶妙。

ゲートのお兄さんに「Japan? こにちわー」と愛想よく挨拶してもらったのに気をよくし、外に出ると、あっつ・・・そう、ここは砂漠の街だったのでした。トヨタ車が並ぶ滑走路周辺をバスは走り、搭乗口へと向かいます。タラップを上がって飛行機に乗り込むと、フランス人形のような客室乗務員さんたちが笑顔で迎えてくれました。周囲にはもう、平たい顔族はほぼいません。それもそのはず、ポーランドは私たち到着後すぐにサマータイムが終わり、夕方4時には暗くなる季節。旅行シーズンはすでに終わっています。だから航空券も格安だったわけです。

ワルシャワ行きの飛行機の中では、ポーランド語の練習に余念がありません。やっぱり、最低限、挨拶やお礼は訪れたその国の言葉で言わなくちゃね! でも、発音が、私たちのものとはまるで違うので、結構覚えにくいものです。しかし私たちは、イイクニ作ろう鎌倉幕府の国の人。語呂合わせで必死に復唱です。

こんにちは・・ジェン・ドブリィ (ジェーン! ドブに気をつけて)
ありがとう・・・ジェンクイエン (ジェーン! 食う言えん)
さようなら・・・ドヴィゼニア (ドブに銭! あ!)
ごめんなさい・・・プシェ・プラッシャム (プシェ(缶ジュースを開けた) プラッシャム(炭酸がプシューと溢れたイメージ))

ジェーンて誰とかドブが多いとか、最後のは語呂合わせでもなんでもないとか、色々つっこみどころはありますが、ようは覚えれば良いのです。裏を返せば、この4語を覚えるのにこんなに苦労するとは、自分の言語センスのなさに驚愕です。

窓の外には見たことがない風景が
窓の外には見たことがない風景が

窓の外は、中東諸国の山岳地帯でしょうか。見たことのない地面が広がっていて、日本から遠く離れたことを実感します。おりしも、この時期はウクライナ上空で飛行機の墜落事故があった後。カタール航空のホームページでは、ウクライナ上空は航路から避けますという宣言文が掲載されていました。

手前の山は雪化粧している
手前の山は雪化粧している

普段、ニュースで見るだけのことが、自分の身を近くに置くことにより、実感値が変わってきます。何にせよ、ネットやテレビだけでものごとを知っても、それで十分ではないということは、いつも心に留めておきたい事実であります。

にょっきりと顔を出す富士山のような山
にょっきりと顔を出す富士山のような山

そしていよいよ、ワルシャワ到着です。覚えたからバンバン使うよ、ポーランド語(の挨拶のみ)。

あの飛行機にもたくさんの人が乗っているはず。ワクワク
あの飛行機にもたくさんの人が乗っているはず。ワクワク

【ポーランドへ行ってきた】#1 ポーランドへ行くわけは

2014年10月、昔から行ってみたかったポーランドへ旅行しました。

なぜポーランドへ行ってみたかったのか。まずはその3つの理由からご紹介。

ワルシャワ中央駅。これを見ただけで、キャーワルシャワよ! と気持ちが上がるくらいワルシャワのファン
ワルシャワ中央駅。これを見ただけで、キャーワルシャワよ! と気持ちが上がるくらいワルシャワのファン

ワルシャワという言葉の響きが好きだった
旅行好きの友人と良く言い合うのが、「土地の名前にときめく場合は、たいていその土地が好きになる」ということ。たとえば、インドの”ハリドワール””ダラムサラ”なんて、名前を聞いただけでドキドキしたし、”イスタンブール””レバノン””ブエノスアイレス”なんてのもそう。

ワルシャワの象徴、文化科学宮殿
ワルシャワの象徴、文化科学宮殿

そして私は昔から”ワルシャワ”という名前にドキドキするたちだった。旧社会主義国家、東欧の、複雑でやや暗いイメージ。伝説のパンクバンド・スターリンの曲名「ワルシャワの幻想」や、ニュースでよく耳にしていた「ワルシャワ条約機構」なんてのも、その響きに含まれる硬質さがなんとも言えない。学生時代は社会の教科書を眺めながら、ワルシャワって行ってみたい、と呟いていた。大人になってから、アジア旅にはまってしまったので、私の世界における最西部はトルコだったのだが、バックパッカー旅からはじめてそろそろ20年。このたびめでたくヨーロッパ初上陸を果たすにあたり、選んだ国は憧れのワルシャワがあるポーランドでした。

ボリスワビエツの食器に惹かれた
今や日本でも大人気となったボリスワビエツの食器ですが、数年前まではそれほどでもなかったと記憶しています。私はあるお店でこれが紹介されているのを見つけ、なんと好みにぴったり! と思ったものですが、その値段を見て「平民には買えません・・・」と涙を飲みました。その時に思ったのです。「ポーランドまで買いに行ってくる・・・」と。思い続けていれば、夢は実現するものです。

ボリスワビエツ食器にやられて数年。いよいよ本場へ
ボリスワビエツ食器にやられて数年。いよいよ本場へ

アウシュビッツに行ってみたかった
それは子供の頃、家の本棚にあった「アンネの日記」を読んで、「うそ。こんな酷いことがあった?!」とショックを受けたのが始まりでした。それ以後、「夜と霧」や、ゲシュタポ、ナチスに関する本をいくつか読み、地元の博物館で開催された「アウシュビッツ展」を観に行き、大学の心理学の授業で「アイヒマン実験」を知り、数々の映画を観て、そこから、社会の授業ではあまり触れなかった大戦前後の近代史に興味を持ち始めました。
大人になって自主的に学んでみると、縄文・弥生時代や鎌倉幕府あたりにばかり時間をとり、我々が最も知るべきである近代の歴史・親の世代の戦争の歴史を、社会の授業というのはすっ飛ばしていたことにビックリでしたわよ。これはアジアの国に行っても感じることで・・・おっと脱線。とにかくそうして近代史に興味を持つきっかけとなった「アンネの日記」の舞台を、ぜひこの目で見たかった。

そして実現したアウシュビッツ訪問
そして実現したアウシュビッツ訪問

さらに2010年に発生した、ポーランド空軍Tu-154墜落事故。この新聞一面トップ記事を見て、ポーランドの大統領夫妻が亡くなったこと、夫妻は「カティンの森事件70周年追悼式典」へ向かう途中だったことを知り、そこから「KATYN」の事件を知りました。「灰とダイアモンド」「地下水道」で有名な、アンジェイ・ワイダ監督が撮った映画「カティンの森」や、その事件を扱った本を読んだりして、それらがこの世に起こった事実であることに強く震撼させられました。
ちょっと話が進んでしまいましたので戻すと、そんなわけで、私が歴史に興味を持つ根源となったホロコーストの現場を、一度訪れてみたかったのです。

歴史というのは、そのときの人の解釈によって変えられていくものです。なので、史実をそのまま保存し伝承するのは難しいものですが、歴史から学べることは多く、また何であれ「興味を持つ」ことは大切なことだと考えます。なので、私は行ってみたです。そして行くべきだったし、行ってよかった。

以上が、ポーランドだけで10日間の旅をするという、他の人から「なぜ」と言われる行動に出たのはこういうわけです。

いつも一人旅の私ですが、今回は姉と二人。姉妹で旅するのなんて、10年以上ぶり。うちの姉妹は非常に仲が良く、興味の方向も似ているので、人と行動するのが苦手な私でもストレスがなく楽しい旅行となりました。いや寒かったけど。

ポーランド出発は羽田空港からカタール航空ドーハ経由で。もともと空港という場所が好きである上に、深夜便というのはわけもなく気分が上がりますがなぜなんでしょうね〜。

羽田空港の表示板。ここにいた係員のおねえさんは無愛想だったのも思い出です
羽田空港の表示板。ここにいた係員のおねえさんは無愛想だったのも思い出です

案内版の「ドーハ」という行き先表示だけでもワクワクしてきます。ドーハってドーハの悲劇のドーハでしょ、ってくらいしか見識がありませんが、まずはトランジットの地に向けて出発したのでした。

カタール航空。さてサービスはどんなだったか
カタール航空。さてサービスはどんなだったか

おまけ
旅行前、資料作りが好きな私ですから。
全24ページのポーランドのしおりをせっせと作り、旅に備えました。

shiori
[これがそのしおりの表紙。力作! あとで見ると色々思い出せて便利]

【涸沢・上高地に行ってみた】#2 雪の涸沢から初夏の徳沢へ

※前回までのあらすじ
涸沢へ向かう雪の道中で、予想外の暴風雨に。雪上に立てたテントの中で寝袋にくるまりながら寒い夜を過ごすことに・・・

朝になっても風景は変わらず
朝になっても風景は変わらず

■涸沢から徳沢へ
さて。そんな状況でも眠れてしまうわけです。だって眠るしかすることがないんですもの。
夜中に何度か目が覚めました。だってテントが揺れるんですもの。暴風雨がテントを揺さぶり、壁になっている部分が風で押し込まれ、もうこのまま飛んでいくのではないかと思いました。また、テントの中は人の体温で結露ができているため、風で揺さぶられると水がふってきます。このテント雨漏りしてるんじゃないの?と思ったのは大きな誤解でした。荷物は、床面も外に出ている部分も思いのほか濡れています。テント素人丸出しです。今後テントの中ではしっかりビニールやザックカバーの中で持ち物を保護しなければなりません。

朝になったら晴れていて、綺麗なモルゲンロート(朝焼け)が見られるに違いない・・・そんな淡い期待は激しすぎる風に飛ばされて消えました。ここまで来たら雨が上がるのを昼頃まで待ってから降りようか? なーんて相談を前夜にしていたのですが、お天気が「待っても無駄じゃ」と語っています。よって、早々にテントを畳んで退散することになりました。

出発の準備。雨の雪山ってのもレアな体験だわ
出発の準備。雨の雪山ってのもレアな体験だわ

気温は低いのですが、歩いていると確実に暑くなるので、寝ている時よりやや薄着で。アイゼンをつけて、レインウェアで防備して出発です。幸いにも昨日濡れた靴の中は、まだ湿っているものの十分歩ける状態でした。さあ、下山したらお風呂があります! お風呂に向けて、雨の中、雪道を下っていきます。

下りはさくさく進みます
下りはさくさく進みます

下りは早く、あっという間に昨日難儀した道を通り過ぎ、すれ違いにくかった細い道に入りました。しかしここ、結構急坂をトラバースしていくような感じで歩きます。道も細いし、背中の荷物も重いので、ちょっとバランス崩したら落ちるな・・・と注意しながら、しかし呑気に写真を撮りながら歩きました。アイゼンを装着していると、雪のあるところよりも、岩が出ているところが危険です。一歩一歩注意しながらの下山でした。

カメラが曇り始めました
カメラが曇り始めました

トラバースの道は細くて要注意
トラバースの道は細くて要注意

昨日昼食を食べた本谷橋で休憩です。かなり気温も上がってきたので、さらに防寒着を脱ぎ、おやつを食べて栄養補給。アイゼンも外して、一路徳沢へ。
雨も大分あがってきて、時々光が射すようにもなってきました。山からは雪が溶けて滝になっている、珍しい景色も見られました。

このへんまで撮影した写真は曇って全滅でした。。
このへんまで撮影した写真は曇って全滅でした。。
二輪草も見えてきたじゃないか・・・
二輪草も見えてきたじゃないか・・・

■徳沢園で極楽気分
そしてちょうどお昼頃、徳沢到着です! 本日のお宿は、人気の山小屋、徳沢園です。ここは、井上やすし作の「氷壁」の舞台にもなった有名なお宿。山小屋というには恐れ多い、設備充実の場所です。本日はここに泊まり、夜はハープ演奏のイベントもある、涸沢に続くもう一つのお楽しみがあるのでした。

これが徳沢園。人気の山小屋です
これが徳沢園。人気の山小屋です
メルヘンになりすぎず、陳腐でもない絶妙のインテリアも見所でした
メルヘンになりすぎず、陳腐でもない絶妙のインテリアも見所でした(これはちょっと乙女ちっくだが)
ランプもすてき
ランプもすてき
こんなのも。全体が薄暗いのも良い。陰翳礼讃
こんなのも。全体が薄暗いのも良い。陰翳礼讃

お部屋が使えるのは14時からとのことなので、まずはお昼ごはんです。こってりして汁っぽいものが食べたい、という希望を叶えてくれたのが、カレーうどんです。いやこれがもうほんと、美味しかった。名物は野沢菜チャーハンとのことですが、それを頼んだ方に一口いただきました。それも美味しかった。コーヒーも飲んで、昨夜からの疲れを癒します。

カレーうどん。一気飲みしました
カレーうどん。一気飲みしました

14時からは乾燥室も使えたので、何から何まで乾燥して、自分はお風呂に入ります。ああ〜極楽とはまさにこのこと。この日はそのあと、ずっと宿やその周囲を散歩しながら過ごしました。

さっきまでの天候が嘘のようなやわらかな日差しが・・・
さっきまでの天候が嘘のようなやわらかな日差しが・・・

こんなに天気が良くなると、ちょっと悔しくなってくるので、「まだ山のほうは雲があるわね」「待っていても晴れなかったね」と、ややイソップ童話のキツネのようなセリフがついつい口から出てしまいます。

でも山には雲、あるよね! ね!
でも山には雲、あるよね! ね!
あるよねーーーーっっ
あるよねーーーーっっ

夜ごはんの後、ハープの演奏がありました。最後尾に座っていたため、写真はありません。が、ハープのソロ演奏って初めて聞きましたが、ピアノ曲が弾けるんですね。ドビュッシュー「月の光」や、リストの「ため息」など、聞き覚えのある曲を聴きながらうっとり。山小屋の雰囲気にもばっちりあっていて、疲れた身体にも静かなクラシック音楽が心地よかった。本当に贅沢なひとときでした。

ああ夜ご飯。なんて豪華な。肉あり魚ありのまるでマサラムービー
ああ夜ご飯。なんて豪華な。肉あり魚ありのまるでマサラムービー
昨年は畳のお部屋だったのですが、今年は新しい部屋でした。お伽話のような部屋
昨年は畳のお部屋だったのですが、今年は新しい部屋でした。お伽話のような部屋
山の案内もばっちりです
山の案内もばっちりです

消灯は21:30。空は曇っていて星が見られず、二日ぶりのお布団は心地よく、すぐに熟睡。夜中には星が出ていたそうですが、見逃してしまい残念。しかし朝4時半に目が覚め、トイレに行きがてら朝日を見に行ったら、ばっちり朝日に照らされる穂高を眺めることができました! 周りには三脚を持ったオジ様方がちらほら。早起きは三文の得って言いますが、ここに来ると実感します。

星が出ていないのでふて寝するしかない
星が出ていないのでふて寝するしかない
朝の空。バニラスカイですな
朝の空。バニラスカイですな
間近で見たかったアイツ
間近で見たかったアイツ
でも遠目でも美しいよね
でも遠目でも美しいよね
アップにだってできるもの
アップにだってできるもの
朝はやっぱり寒いです。ストーブで暖をとる
朝はやっぱり寒いです。ストーブで暖をとる
朝はお外でホットドック!
朝はお外でホットドック!

朝食の後はまた散歩。散歩しかやることがありません(笑)。近くにオープンしたロッジを見学してお茶を飲みにいったり、そこのオーナーらしき男性に、「緑の二輪草」という珍しい品種を教えてもらったり、普段とは360度異なる過ごし方で、明日からの社会復帰が心配になるほどでした。

幸せというテーマで描いた絵のような空間・・・
幸せというテーマで描いた絵のような空間・・・
昨日のような雪もあればこんな晴れもある・・と思わず人生訓をたれたくなる
昨日のような雪もあればこんな晴れもある・・と思わず人生訓をたれたくなる
山桜も光があたって輝いている
山桜も光があたって輝いている
ほらこんな風に
ほらこんな風に
二輪草もすっかり開いて!
二輪草もすっかり開いて!
川べりから見た山の美しいこと!
川べりから見た山の美しいこと!
暇なのでお茶しました。ケーキ食べました。完全にオーバーカロリー
暇なのでお茶しました。ケーキ食べました。完全にオーバーカロリー
ロッジの方に教えていただいた緑の二輪草。ラッキーアイテムぽいね!
ロッジの方に教えていただいた緑の二輪草。ラッキーアイテムぽいね!
ピンクの二輪草も可憐よ
ピンクの二輪草も可憐よ
昼食はおこわでした。食べてばっかり!
昼食はおこわでした。食べてばっかり!

帰りも河童橋まで軽くハイキング。もう平坦な道ですから、何も支障はありません。朝の道では咲いていなかった二輪草を愛で、望遠鏡で穂高山頂を捉えているオジさんに覗かせてもらい、到着直後はソフトクリームで栄養補給。栄養補給ばっかりしていたような気もしますが。

60リットルのザックを背負った記念写真
60リットルのザックを背負った記念写真
帰り道は猿と遭遇
帰り道は猿と遭遇

修行の涸沢も、それはそれで楽しい経験でした。でも来年は雪を照らす朝焼けを見たいものです。こうして楽しい4日間の山行は終了したのでした。

【涸沢・上高地に行ってみた】#1 最高の雪景色のはずが・・

あっ!

という間に終わってしまいましたね。ゴールデンウィーク。例年のごとく。

この後、修行登山になるとは知らずに朝の高原を満喫していた時の写真
この後、修行登山になるとは知らずに朝の高原を満喫していた時の写真

今年は2日休めば11連休。長い休みは海外に出かけるのが常でしたが、今年は年始のキリマンジャロの記憶がまだ濃厚だったこともあり、前半は実家、後半は登山という、国内でお出かけというパターンで過ごすことに決めました。

前半は実家の近くの里山へ登り、後半は5月ながらも雪が積もる涸沢でテント泊というワイルドな選択を。今年前半のクライマックスと言っても過言ではありません。「涸沢 5月」で検索すると、白い雪に太陽の光があたり、色とりどりのテントがまるで花のように見える風景が。涸沢クライマックスにはきっとこんな景色が観られるに違いない。そして私もそんな写真がとれること間違い無し! そう夢見ておったんです。
そして現実は・・・結果的には別の意味で今年前半最大のクライマックスを迎えてしまいました。いやもう、ホント。何の罰ゲームかと。

最初はのんきにブルーの景色を堪能。
最初はのんきにブルーの景色を堪能。

■新宿から上高地へ
今回、60リットルのザックと、シュラフ、エアマット、テント泊の用意などをレンタルしました。こういったものは、条件によって使うものが異なり、いちいち買っていたら破産してしまうところに、山道具のレンタルなんていう便利なものがあるのだから、嬉しいことです。そのレンタル品を当日の夜受取り、パッキングをすませて、新宿に新しくできたバスターミナル、その名も「バスタ」に向かいました。
いや、このバスタ、びっくりするよね。ちょっと前に、私はこれができたことを知らず、新宿駅から外に出たら、向かいにも同じ様相の新宿駅があるものだから、いったい自分がどちらに向かえば良いのかさっぱりわからなくなったことよ。2016年4月にできたばかりのこの施設、日本最大のバスターミナルになるそうです。

都会の深夜に出発する「さわやか信州号」を待つ、あまりさわやかではない私たち
都会の深夜に出発する「さわやか信州号」を待つ、あまりさわやかではない私たち

私たちが利用するのは、その名も「さわやか信州号」。荷物を預けてバスに乗り込むも、利用者がまばらで、結局一人2席占領状態で居場所を確保しました。確かに翌日は平日なので、週末のようには混雑しないとはいえ、ゴールデンウィークの真っただ中ですよ。しかも上高地は二輪草が咲くベストシーズン。こんな時期にバスが空いているなんて、人々が出かけなくなったのか、本当にもったいのうございます。ぐーすか寝ていれば上高地まで運んでいってくれると言うのにねえ。

目が覚めればこんな景色が待っているはず
目が覚めればこんな景色が待っているはず

さて、そんな感じで、さわやか信州号は2度のトイレ休憩を挟んで朝5時に上高地バスターミナルに到着です。バスから降りると、気温が上がっている東京とはうってかわって肌寒く、まずはちょっとおなかにたべものを入れて、トイレでサポートタイツや防寒のメリノウールシャツなどを身につけます。ちなみにここからトイレも有料(100円)になります。

全行程はこんな感じでした
全行程はこんな感じでした

■上高地バスターミナルから徳沢まで
そこから歩いて5分程度で、河童橋に向かいます。河童橋は、超がつく観光地。登山客ではない人たちも多く、食べ物屋さんやお土産屋さんも集まっていて、普段は非常に賑わっているのですが、さすがの早朝で、誰もいません。

曇っていますが、川の水は透明で、さすがにさわやかです。
曇っていますが、川の水は透明で、さすがにさわやかです。
太陽があがってきました
太陽があがってきました
高原の夜明けだ・・・さわやかだ・・・
高原の夜明けだ・・・さわやかだ・・・
光がいまいちですが、水の色はお届けできるかと。
光がいまいちですが、水の色はお届けできるかと。
中間地点の明神池
中間地点の明神池
穂高が見えています。
穂高が見えています。
エンレイソウが開いています
エンレイソウが開いています
まさに春の紅葉
まさに春の紅葉
花の名前を忘れた・・・・昨年も聞いたのに・・・
花の名前を忘れた・・・・昨年も聞いたのに・・・
朝のうちは、二輪草がまだ半分くらいしか開いていない。
朝のうちは、二輪草がまだ半分くらいしか開いていない。
光がさすと草花は本当にきれい
光がさすと草花は本当にきれい
途中、川に映るさかさ穂高が見えました
途中、川に映るさかさ穂高が見えました
これが道中ずっと見えていた穂高
これが道中ずっと見えていた穂高
山桜が咲き誇っていました
山桜が咲き誇っていました
ここまで約二時間! 徳沢に到着です
ここまで約二時間! 徳沢に到着です

そのまま2時間ほど歩いて向かうは徳沢。こちらには滞在の拠点となる山小屋、徳沢園があります。荷物を降ろして、涸沢キャンプ中に不要な荷物を置いていくことができます。とはいえ、着替えが数枚程度で、期待するほど荷物は軽くなりません。
荷物を仕分けたら、朝食です。徳沢園の食堂は朝7時から開いているので、助かります。歩いているときには、定食っぽいものをガッツり食べようと心に決めていましたが、安曇野のはちみつを使ったトーストがメニューにあり、コーヒーとともに注文。意外と乙女な選択でした。やさしい甘さがバスと徒歩でちょっと疲れた身体に嬉しかったです。

朝からメニューも充実。ありがたい
朝からメニューも充実。ありがたい
これがはちみつトースト!
これがはちみつトースト!
紙ナプキンに登山者のはんこが!
紙ナプキンに登山者のはんこが!

■横尾を経て涸沢まで
午前9時15分。雪山で使う軽アイゼン(これもレンタル品)を靴にあわせて調節しておきます。そして横尾に向けて出発です。

徳沢園の前にあった山桜。こちらも綺麗でした
徳沢園の前にあった山桜。こちらも綺麗でした

横尾までは1時間程度。いったんトイレ休憩です。ここで橋を渡るのですが、そこに看板が立っていて「ここからは登山道です」「午後2時以降の入山は控えてください」などと書いてあります。それもそのはず、ここまではほぼ平坦なハイキングコース。ハイヒールでもなんとか歩けちゃいます。が、ここからは登山の世界。岩道を登った先には、雪が積もった斜面を落ちないように歩いたりと、軽装ではむつかしい場所ですがたくさん待っています。その先には、穂高が控えているし、雪の時期には本当に危険な場所に続いていくわけです。しかし、この橋ひとつで行けちゃうものだから、軽装のまま山に入り込む人が多いのだとか。行ってきたからなおさら言えるけれど、本当に、ここから先の山をなめちゃいけません。

横尾の橋を渡っても、しばらくは平坦な川縁を歩きます。しばらくすると、巨大な屏風岩が見えてきました。クライマーの人たちがよじ上りそうな絶壁です。私はボルダリングとかクライミングとかいうものに、まったく興味がなく、ただ高いところで地上では見られない景色が見たいだけ。屏風岩も眺めているだけでOKです。こういう岩山を見ると、キリマンジャロのマウェンジ嶺を思い出すわね、と、まるで「この夜景・・パリを思い出すわネ」みたいな、ちょっと感じ悪いセリフもついつい口から出てしまいます。

しばらくは川沿いを歩きます。まだ平坦
しばらくは川沿いを歩きます。まだ平坦
屏風岩が見えてきました
屏風岩が見えてきました

岩場をずんずか登っていくと、少しずつ雪が出てきます。まあ、言うても五月ですから、このあたりはもう融けかかって茶色が混じった雪でした。この辺りでは、まだのんきに写真を撮ったりする余裕があったわけです。

穂高が目の前に現れました
穂高が目の前に現れました

本谷橋という吊り橋に差し掛かりますと、待ちに待った昼食です。なんだか食べてばっかりいるようにですが、結構時間は経過していて、それなりにお腹はすくものです。
ここでのごはんは、家から持参してきたパン、プチトマト、バナナ、笹かまぼこ。同行の友人とシェアしながら、手早く食べました。外で食べるごはんの旨さったらないです。

これが本谷橋。お昼タイム
これが本谷橋。お昼タイム
横尾からちょうど半分くらいですね
横尾からちょうど半分くらいですね

しかしゆっくりもしていられません。と、いうのも、ここから先は本格的な積雪エリア。かつ、午後からは雨の予報なので、できるだけ早く到着して、腰を落ち着けたいところなわけです。本谷橋からは、軽アイゼンを装着します。しかし、しばらくは岩がむき出しているところが多くあり、しかも道が細くてすれ違いに難儀します。

雪が深くなってきました
雪が深くなってきました
道が狭くて難儀しました
道が狭くて難儀しました
こんな坂道が続きます
こんな坂道が続きます

そして午後1時半。空を覆っていた雲が厚くなり、雨が降り始めました。最初はしとしと、という感じでしたが、ザックカバーとレインウェアを装着している間に本降りに。積雪の上に雨ですから、気温はそう低くないはずですが、足元も緩んできて、歩きづらく。しかしここいらへんは、特に危険というエリアでもないので、そのまま涸沢カールに向けて進みます。

雨の中、涸沢カールが見えてきた
雨の中、涸沢カールが見えてきた

ほどなくして、涸沢ヒュッテの茶色い小屋が見えてきました。しかしですね、目の前に見えているのに、ちっともたどり着かないのです。いつまで歩いても、進んでいかない感じ。こんなときは、キリマンジャロとの比較をしてみるのですが、あの時も「見えているのに進まない」という条件は同じ。しかしキリマンジャロは高度のため酸素が地上の半分でしたから、ここはまだ息が吸えるだけ助かるというもの。しかし、背中の60リットルザックがずっしりと重いです。キリマンジャロはポーターがついてくれたので、荷物の重みがのしかかってくることはなかった。そして天候はキリマンジャロでは寒かったけれど無風で、ここはだんだん強くなる雨風が容赦なくふきつけてきます。うーん、比較しづらいけど、どっちも苦しいのは変わりありません。

雨の中をひたすら歩く一行・・・
雨の中をひたすら歩く一行・・・

そして歩いて歩いてやっと・・・涸沢ヒュッテに到着しました!

涸沢ヒュッテに到着! 道のりは意外と長かった・・・
涸沢ヒュッテに到着! 道のりは意外と長かった・・・

到着したら、まずはテント張りです。といっても、ほとんど隊長がみんなのテントをテキパキと張ってくれたため、私たちはシートを敷いたり、エアマットをふくらましたりという、いわゆる寝床作成作業だけでした。甘々ちゃんです。まずは荷物を置いて、ベンチに向かいます。

雪上にテントを準備します
雪上にテントを準備します

涸沢ヒュッテの建物の中は、テントの人は入っちゃいけないらしく、雨風が吹きすさぶ外のベンチで休憩です。売店でおでんやラーメンという温かいものがあるのが嬉しかった。みなさん最初はビールを飲んでいましたが、だんだん身体も冷えてくるため、ワインをコンロで沸かして飲んだりしました。夕食はアマノフーヅのフリーズドライごはんとカレー。しかしこれを開けて準備する頃になると、すでに突風と強い雨が横殴りで容赦なく襲いかかり、鍋も袋も皆飛ばされる中、それらを腕で押さえて急いでカレーをかっこむの図。速攻で食べ終わったら、こんな外に座っているのはまるで罰ゲームです。早々にテントに引き上げて、寝袋に潜り込みました。

この売店でおでんを食べた。美味しかった・・・
この売店でおでんを食べた。美味しかった・・・
しかしここで食べるごはんはほとんどサバイバル訓練・・・
しかしここで食べるごはんはほとんどサバイバル訓練・・・

最近のテントは軽量化されているのですが、こんな薄い布一枚でも、外にいるよりは暖かいです。といっても、氷の上で寝ているわけですから背中は冷たく、持ってきた予備の防寒着をすべて身につけた状態で寝袋にイン。二度と出たくありませんが、夜中にトイレにいったら確実に遭難しそうなので、暗くなりきらないうちに一度思い切って外に出ました。テントの数は少なく、景色は何も見えないけれど、遠くに涸沢小屋のあかりが綺麗に見えました。

遠くに涸沢小屋のあかりが見える。決死のトイレ帰りにとった一枚
遠くに涸沢小屋のあかりが見える。決死のトイレ帰りにとった一枚

夜になるごとに突風がひどくなり、雨が打ち付けられて、テントが浮きました。私は三人同居テントだったのですが、人間の重みでテントを支えている感じ。もうシュラフの中ではやることもないので、キンドルを読んだりiPodでpodcastを聞いたりしているうちに、いつの間にか寝ていました。こんな状況でも図太く寝られる自分が頼もしいです。

【涸沢・上高地に行ってみた】#2 雪の涸沢から初夏の徳沢へ

【笹倉山に登ってみた】霧の中の登山・笹倉山へ

2016年のゴールデンウイークは、平日が二日挟まるものの、全部つなげれば11連休という、まさにゴールデンな週。後半は既に登山の予定が入っていたので、前半で実家に帰ることにしました。今回は、まもなく受験の子供達にかかりきりになる予定の姉と二人での帰省。久々に実家に家族が集結することとなりました。

こまちで帰省します
こまちで帰省します

我が家は元祖山ガールの母と、母に追随する形で登山を始めた父がいます。私の実家がある宮城は、そこそこ都会ながらも、ちびっと車を走らせれば自然のど真ん中に行ける土地柄。私が住んでいた頃は、たとえば土日の朝に雪のコンディションがよさそうなら、そこから電話で連絡をしあって、サービスエリアで合流して、スキーやスノボに出かけ、昼過ぎには引き上げて温泉に入って早めの帰宅、なんていう、東北の人には当たり前でも、東京のスキー好きの人にはうらやましがられる生活をしていました。

車窓の風景。トンネルが多いのでシャッターチャンスは少ない
車窓の風景。トンネルが多いのでシャッターチャンスは少ない

なので帰省すると、ちゃんと足で登るかどうかは別にして、大抵1日は山へ行っておにぎりを食べてきたりすることがよくあったのですが、今回、ちょっと弱り気味の母のコンディションが良い一日を選んで、近場の里山へハイキングに出かけることになりました。しかし天候は曇天。こんな日、普通なら中止にするところですが、なんとなくそのまま出かけ、誰もいない霧の山を登って、ごはんを食べて、帰ってくるだけの登山を決行。テンションが上がらないかと思いきや、厚い雲の下を歩く春山は、緑や花が美しく、霧もかかって幻想的な風景が見られたため、写真好きには非常に満足のいくハイキングとなりました。

登り口には八重桜が咲いていました
登り口には八重桜が咲いていました

笹倉山は「七つ森」と呼ばれる山域のひとつで、506mの低山です。しかし侮るなかれ、七つ森は結構アップダウンがあり、ロープや鎖場もあり、わりと健脚が強いられるところです。ただ笹倉山はその中でもまったく難儀な場所がなく、登山をしない姉でもらくらく登れる楽しい場所でした。

雨に濡れた植物が美しい
雨に濡れた植物が美しい
花の名前に詳しくない私。母に教えてもらったが、右耳から左耳へ素通り・・
花の名前に詳しくない私。母に教えてもらったが、右耳から左耳へ素通り・・
羊歯もゼンマイも勢い良く伸び始めていた
羊歯もゼンマイも勢い良く伸び始めていた
しかし霧で曇天。雨が降らないだけセーフ
しかし霧で曇天。雨が降らないだけセーフ
木々からしずくが滴り落ちる
木々からしずくが滴り落ちる
ヤマツツジ。今回の写真はすべてスリーピーホローの様相
ヤマツツジ。今回の写真はすべてスリーピーホローの様相
すみれの群生がこっちを向いていた
すみれの群生がこっちを向いていた
こんな天気だし誰も登っていません。うちの家族だけ・・
こんな天気だし誰も登っていません。うちの家族だけ・・
自然が作った統制
自然が作った統制
自然が作った統制その2
自然が作った統制その2

七つ森のそれぞれの山頂には、薬師如来像が祀られていて、全部が笹倉山を向いているんですって。これらの薬師如来を一日で廻る「七薬師掛け」というのが今も行われているそうですが、「七つ森スタンプラリー」という今どきっぽい行事も行われているらしい。いずれにせよ、七つ森を全部一日で廻るのは、相当な体力がいると思う(当社比)。でも東北には、老若男女の登山愛好家が多いので、絶好のアドベンチャーポイントになっていることでしょう。

頂上の祠
頂上の祠
見晴らし台のヤマツツジ。見晴らしは残念ながらゼロでした
見晴らし台のヤマツツジ。見晴らしは残念ながらゼロでした
すこーし、風が出て霧が晴れてきたもよう
すこーし、風が出て霧が晴れてきたもよう
春もみじ。雨でちょっと弱っている感じ?
春もみじ。雨でちょっと弱っている感じ?
天気が悪いのも、オツなものです
天気が悪いのも、オツなものです
日はささないけど空がだんだん明るくなってきた。緑がきれい
日はささないけど空がだんだん明るくなってきた。緑がきれい
花々も少し前向きになってきた
花々も少し前向きになってきた
二輪草も前向きになってきたぜ!
二輪草も前向きになってきたぜ!
今回のベスト造形ニスト。見事な☆を描いております
今回のベスト造形ニスト。見事な☆を描いております

ところで以前、年下の友人が、「私の家族はもうたぶんこの先、全員で集結することはないと思う」と話していたことを思い出しました。誰しも、年齢が上がってくると、それぞれにパーソナルな事情が増えてきて、場所や時間を合わせるのが難しくなってくるものですが、ひとつまたある段階を超えると、親が弱ってくるとか、子供の世話を手伝ってもらうとか、色々な事情でまた家族が集結することもあるものだと思います。こんなふうに揃ってハイキングするのも、貴重な機会になってくるんだなあと噛み締めながら、私自身が出かけられなくなることがないようにちゃんと足腰鍛えとかねばね!、と思い正す一日でした。

八重桜に戻ってきた。おつかれさまでしたー
八重桜に戻ってきた。おつかれさまでしたー

【まとめて読む】キリマンジャロに登ってきた! 

kilimanjaro

2015年末から翌年お正月明けまで、タンザニアにあるアフリカ最高峰キリマンジャロに登ってきました。

ところでキリマンジャロって?
滞在中の食事は?
トイレやお風呂はどうなるの?
高山病は大丈夫?

などなど、ヘナチョコな私でも登れたヒミツを書き明かしました! (ちょっと大げさ)

●キリマンジャロ登頂記
※各ページ最下部のリンクを辿ると、順番に読む事ができます

#1 全行程はこんな感じ
#2 成田出発〜キリマンジャロ到着まで
#3 人生初アフリカ記念日
#4 キリマンジャロ登山の道のり
#5 Day1 マラングゲート(1879m)からマンダラハット(2730m)
#6 トイレとお風呂事情
#7 Day2 ホロンボハット(3720m)まで
#8 登頂へ導く毎日の「食」
#9 山小屋事情
#10 Day3 高度順応日のゼブラロック・ハイキング
#11 月明かりの影ができる場所で
#12 Day4 いよいよキボハット(4,720m)へ
#13 ガイド&ポーターのこと
#14 Day5 登頂アタック5895mへ
#15 Day5 頂上からのハードな下山
#16 Day6 さらばキリマンジャロ
#17 アルーシャへ移動
#18 Day7 サファリ〜帰国へ
#19(最終回) 持ち物いろいろ

●キリマンジャロ登頂準備編
※こちらは出発までの色々な準備を、Facebookに記録していたものです。

Visa取得
3L/day
先達のご意見と寝袋と
予防接種
ウォーターキャリー大量購入
ドーピング
本で予習
足ならし
寒暖対策
高度計測ができる時計
散髪
トイレットペーパー
レインウェア
まさる守
決起集会
シュラフなど
いよいよ出発

●キリマンジャロ番外編

人生で一番長い誕生日