バリ島二日目。朝ご飯は宿の食堂で。食堂といっても、壁のないオープンエアで、まだぐずついている空や周囲の緑を眺めながらの開放感あふれる場所です。テーブルにはお茶のポットがあり、座っているとフルーツと、パンケーキや卵焼きなど一皿の控えめなお料理を作ってもらえます。私にはこれで十分でしたが、同じ時期に滞在していた中国人の家族連れは、持参したカップラーメンにお湯を入れてもらったり、食パンを買って来て一緒に食べたりしていました。
宿のオーナーはお年を召した画家のご夫婦ですが、その息子が経営を仕切っています。インドネシア語の勉強もかねた滞在なので、積極的に彼と会話をして過ごしました。私がアグン山に登ると言ったら驚いて、僕も登ったことがないよ、高校生のときにバトゥール山に登ったくらいだよ、と驚かれました。万が一私が遭難したりしたら、一番最初に気づいてもらわねばならないので、登山後に帰って来なかったらあとはよろしく頼むと言ったら、ゲラゲラ笑われました。
まずは今日は、市場まで歩いて、それから、足慣らしに町外れのライステラスをトレッキングすることにしました。曇り空ですが、雨は上がっています。
宿を出て、まずはウブド市場へ。建物が新しくなったと聞いていたので、見学も兼ねて。確かにこぎれいになっていましたが、一階から地下に続く、ローカルの人たちが食品や雑貨を買いにくるエリアは元の雰囲気のままでした。お香や、お供え物、野菜、果物、魚も売っています。バリには、シルバークローブという、丁字の匂いがするメンソレータムみたいな万能薬があって、昔はそれを見つけて買って虫さされに塗っていましたが、この市場で久しぶりに目にしました。しかし! 眺めていたその瞬間に法外な値段を提示されたので、ほないらんわい、と退散しました。スーパーやコンビニ、ドラッグストアなど、定価のお店が増えてきた昨今、こんなあからさまなふっかけがなんとなく懐かしくなりました。昔は何を買うにも駆け引きに忙しかったけど、あれでバリニーズとたくさん会話することができていました。今はそれが少なくなりちょっと寂しいです。
寂しいといえば、昔は道を歩けば前後左右から「トランスポート!」の声にからめとられる感じだったのに、今はあまり声がかかりません。しかしタクシー業が減ったわけではなく、スマホ片手に覗き見しながらの人が多くなって、顧客争奪に必死な人が少なくなった気がします。それに、タクシーだのトランスポートだの書いた紙を片手に持って、もう片方の手でスマホを見ている、なんて人も少なくなかった。店番の女の子も、道端にヒマそうに座っている男子も、みんなスマホをスクロールしている光景は、日本の電車内を彷彿とさせます。バリニーズから声をかけられなくなったのは、私が当時より若くなくなっただけではなく、声をかける人の総数が確実に減っていることもあるでしょう。これはどこの國でも同じことかもしれません。
市場を出てから、チャンプアン橋方面に歩いていると、横っちょに、ライステラスに抜ける細い道が見つかりました。民家と民家の間の細い道や階段を通り、ずんずん歩いていくと、突然、ライステラスが目前に開けます。
ライステラスを歩いていると、色々なことを思い出しました。ちょうどこのライステラスを挟んで向こう側に、かつて私が働いていたオフィスがあったのです。友人と旅行をプロデュースする会社を立ち上げて、ここウブドで、ウブド出身の従業員たちと一緒にお仕事していました。色々な失敗やトラブルもたくさんあったけれど、バリ人のおうちに一緒に住まわせてもらったり、面白いこと、素敵なこと、嫌なこと、悲しいことがぎゅっと詰まった数年感でした。あの頃はまだ、ここでそういう仕事を作っていく人が少なくて、国自体がおっとりとしていたけれど、この経済成長とネットや通信の発達による世界の激変で、同じことは絶対にできません。今もそうだけど、バーチャンになったときに、このことを思い出してはウフフと懐かしく思うでしょう。使い古された言い回しだけれど、そういう事柄ってお金では買えないから、やっぱり一瞬一瞬を無駄なく生きていこうと前向きに思うわけです。
ゆっくりと一人でライステラスを歩く、バリに来て本当によかったなあと思うひとときです。
2件のコメント
現在コメントは受け付けていません。