ウブドから出発
そんなわけで、雨だったら断固中止、と決意したまま、夕方早い時間に眠りにつきました。目覚めたのは夜の11時、外に出てみると、地面は濡れているものの、雨は止んでいたわけです。アユさんの言う「ガイドが大丈夫って言ってる」が大当たり。マジで?と思いながら、MAX灯りをつけても薄暗い部屋で、登山ウェアに着替えました。
夜中の12時に迎えにくると言っていたアユさん、まあバリの人のことだからよくて10分、普通で30分くらいは遅れてくるんでしょうね、と余裕をぶっこいていたら、11時45分に電話がかかってきて「今、あなたの宿の前にいまーす」とのこと。あわてて登山靴をはいて外へと向かいました。
よく考えたらアユさんとはそこが初対面。しかしここは、前述のとおりカネよりコネの土地。村八分のような制度が残るこの島では、近所の評判や繋がりある人の信用に基づく情報が最も信頼できると、私は感じます。これは、バリで仕事をしていたときにも痛感したこと。金銭や物質的な報酬に対しては、驚くほどあっさり裏切られることがあっても、近所や友人・親類の縁でつながった関係に対する裏切りは、よほど罪が重いことと考えている人たちをよく見ました。日本人の言う「世間体」に近いものがあります。言って見れば、個人主義でない国ほど、その傾向が強いように思えます。そんなわけで事前信用度もそれほど低くなかったのですが、車の前で待っているアユさんの目を見て挨拶したとき、それは実感に変わりました。この人が信用できなくて、誰が信用できるんだという感じ。ただそれも、手放しで礼賛するというよりは、生身の人間として様々な面を持っているだろう予測もふまえての、ゆるやかで俯瞰性のある信用です。
アユさんと運転手のデワさんと挨拶をすませ、車に乗り込み、真夜中の道をアグン山の麓まで走ります。アユさんは娘さんが2人いて一人はスチュワーデスなのだとか。昔はガンガンガイドの仕事をしていたけど、最近はあまり多くなくて、こういう紹介の仕事だけやっているとか。私が昔、バリで開業していた会社の名前も知ってるし、日本語は片言だけどちょっと喋れる。お互いに自己紹介しつつ、ちょびっとだけ仮眠しつつ、2時間ほどを要して麓の村に到着しました。
登頂祈願×2
真っ暗な広場みたいなところに、車が止まりました。アユさんだけが何やら色々入ったコンビニ袋を持って車を降ります。デワさん聞くと、この道沿いにバリの神様がいるから、登山の安全をお祈りしに行ったのだとか。なんということ。辺りは街灯もなく真っ暗で、アユさんのオレンジ色のポロシャツだけが浮かび上がってみえます。車の外は既に標高が高く、ひんやりとしていました。
アユさんが戻ってくると、そこから15分くらい走って、パサール・アグン寺院の駐車場に着きました。そこで待っていたのがマデさんというガイドさん。バリの人は年齢よりもかなり年上に見えるのですが、マデさんも39歳という割には40代後半くらいの風貌です。ご自身もずっとガイドで、息子さんもガイドをしているとのこと。
私はアユさんに、相談時点に送ったメールで「女性一人の登山で、私はゆっくり歩くので、親切で誠実なガイドをお願い」と伝えていましたが、やけに軽装で、口数が多く、必要以上にフレンドリーな人が出てくるのではないかと覚悟しておりました。そして夜中に男性ガイドと二人で異国の山の中、という、言ってみれば何されたってわからないようなシチュエーションですから、せめてお金で解決しようと、ちょっと多めにお金を隠し持っていたです。が、さすがにアユさん、私のリクエストにちゃんと応えてくれました。マデさんは口数が少なく(バリ人にしては珍しい!)、英語は片言だけど必要なことはちゃんと言ってくれるし、お客さんからもらったという登山服・登山靴・ストックなど装備もばっちり、暗くて顔はよくわからなくても、この人は大丈夫、と思える人柄が滲み出ていました。これこれ、百発百中ではないけれど、ファーストインプレッションで人の善し悪しって、なんとなく感じられるものです。
アユさんは、マデさんにおやつの入った袋とお湯ポット、コーヒー、そしてデジカメを渡し、私には水と飴ちゃんをくれました。ああ世界各国、おばちゃんは飴ちゃんをくれるものです。ここバリではマンゴー飴ちゃんというところがなんというか出色でしたが。アユさんたちは一度自宅を帰るのかと思いきや、私が降りてくるまで駐車場で寝て待っていてくれるそうです。ありがたや、ありがたや。
マデさんと私は、まず寺院の中に入ってお参りです。マデさんが持っているお線香に火をつけて、一本私にくれました。そしてバリヒンズー教のしきたりに従って、登山の無事を祈願。周囲は本当に真っ暗で、ヘッドランプの灯りだけが頼りです。お参りが済むと、登山口に向かいます。数人、バリの正装をした人に会いました。マデさんに聞くと、この日は、お参りのグループもアグン山に登るのだとか。ヒンズー教の聖山ですから、周辺の儀式の時には正装で登るとのことです。ウブド以南のエリアでは、海や川に行くのが主流だったので、やはりここはバリの中でも私がこれまで滞在していたのとは違う、山岳エリアだということを実感しました。
いよいよ登山開始
登山は1500mくらいから始まります。ちなみにアグン山の標高は、なぜか諸説あって、3031mとか、3140mとか、情報が錯綜しています(笑)。まあ3000mちょいということで、開始地点からの標高差1500m。けっこうハードな登山です。
道はうっそうとしたジャングルで、なんだか常に急でした。ジグザグ感があまりなく、まっすぐ登っていくような感じ。もちろん本当のまっすぐではなく、人が通れる道はあるのですが、決して、登りやすく考慮された道ではありません。一度途中でペットボトルを落としてしまったら、ずんずん転がって落ちていってしまいました(マデさんが追いかけて拾ってくれた! 感謝!)。
途中で欧米人カップル+ガイドの組み合わせに遭遇した他は、例の正装の軍団とたまに会うだけで、ほとんどの行程が、真っ暗な道をマデさんと黙々と歩くというもの。でも途中で休憩がてら振り返ると、バリの町の灯りがゆらゆらしているのが見えてきます。東京や香港のような宝石箱みたいな豪華な灯りではなく、それでもかなり多くなっているのであろう素朴な夜景が、やや滲みながら広がって見えます。
そして数時間歩くと、草木がどんどん低くなり、岩場に到着です。マデさんに言われて空を見上げると、なんとも美しい満点の星! あれだけ雨が激しかったというのに、まあよくも晴れたもんです。腰を降ろして、マデさんにもらったチョコバーやビスケットを食べながら、バリの夜景と星の饗宴をしっかり堪能しました。寡黙なマデさんは余計なおしゃべりはしないものの、あのへんがデンパサールだとか、遠くに見えるのはムンジャガン島だとか、必要なことはちゃんと教えてくれるかのがありがたかったです。
そして頂上へ
しかしそこからが、アグン山登山の試練でした。岩場がずっと続くのですが、まず傾斜が厳し過ぎて二足歩行ができない(マデさんはできるけど私はできないのて四つん這い)。しかも岩がゴロゴロで足の置き場がない(マデさんが、いちいち足を置く場所まで指示してくれた)。雨の後で足場がすべる(マデさんが繰り返し言っていたインドネシア語「滑る=licin」は一生忘れない単語となった)。そして息切れがひどい(私がゼーハーし始めると、マデさんが止まって息が整うまで待ってくれて本当にありがたい)。そんな苦しい苦しい状況でしたが、ここで滑落したら本当にえらいこっちゃ、という意識が働いて、必死に登りました。
そしてやっとーーーーーー頂上にたどり着きました! まだ5時で夜明け前に到着です!! 快挙!!
日の出を待つ
頂上に着くと、マデさんはまず、ご神体にお参りに行きました。そして、コーヒーを入れてくれ、栄養補給にアユさんにもらった朝食(パンとバナナ、リンゴの簡単なボックス)やビスケットなどを食べます。しかし、3000mですから、寒いことこの上なし! 持って来たダウンやレインウェアなど、すべて着込みます。それでも寒いのに、私の前に到着していたオーストラリア人は、なんと半袖半ズボン。足下なんてサンダルです。本人曰く、こんなに厳しいと思っていなかったよ、ほぼロッククライミングだったじゃんね、と。彼は4人グループで登っていましたが、みなさん軒並みそんな感じで、ガイドが二人ついていました。うち一人は、節度を持ったフレンドリーで話しやすい人でしたが、もう一人がなんというか、ダメな感じ。ヘラヘラしながら必要以上に接近してきて、余計な話ばっかりしてくるタイプ。ああ私のガイドがマデさんで本当によかった。アユさんに山頂から感謝です。
前六時すぎ。残念ながら雲が出てきてしまいましたが、雨が降り始めることもなく、隣のロンボク島のリンジャニ山のシルエットが見えてきます。ちなみに次はこのリンジャニ山に登りたかったのですか、残念ながら噴火してしまい、当分叶うことはなさそうです。そして雲間からオレンジ色の光が見えてきました! もう絶景です。周囲が明るくなると、バリ島全景が見えてきます。バリの地図はよく緑色で書かれることが多いのですが、まさにその地図のとおり、緑に覆われた島がくっきり見えてきます。もう感動。マデさんが「レインボー」というのでそちらを見ると、なんと雲の中に虹が見えるではないですか。幻想的この上なしです。
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