登頂アタック後の熟睡から明け、とってもすっきりした目覚めでした。朝方、咳してたよ大丈夫? と同室の方に言われましたが、ちょっと埃を吸ったのかもしれません。しかし、実に日本出発以後はじめて、夜中にトイレに通わない夜でした。そう、既に高度を下げているので、お水を大量に飲まなくても良くなったためです。
洗面器のお湯を運んでもらうのも、本日が最後です。小枝や砂が入っていても気にしない体質が出来上がっています。そして、新年を頂上で迎えようとする人たちでごったがえすホロンボハット、私たちは朝食を食べたら下山の準備に入ります。
アミノバイタルをきちんと飲み続けていたためか、筋肉痛はほとんど感じませんでした。私は下山が大の苦手。キナバルの時も、最後まで下れないんじゃないかと思うほど足か痛くなり、アグン山の下りでは、足が着地しても膝がバウンドしない状態になり、この時はガイドと二人きりだったので泣きそうになりました。富士山の下山でさえも、膝がカクカクしていたことを思い出します。登頂アタック&引き返しの翌日であるこの日も、ゆるやかとはいえ、かなりの長い下りとなるため、日本から用意してきた膝サポータを装着しました。これがかなり良い働きをして、膝が最後までしっかりしていただけではなく、翌日以後もほとんど筋肉痛がない状態に! また今回は、はじめてストックも2本刺しで使っていたので、それも良かった! 道具は活用するが勝ちですね!
名残惜しくも、何度も何度もキリマンジャロ頂上が見える限り、振り返り写真を撮りながら、数日前に登ってきた道を下ります。この日、一緒に登頂したガイドさんがずっと一緒だったのですが、みなさん急に薄着になったため、なんとなく個人の認識ができない状態に。あんなにお世話になっておきながら、私はNさんを見ても「あれ? この人Nさんだっけ???」なんて思ってしまう始末です。他のメンバーも、他のガイドに対して同じような発言をしていたので、私の記憶力低下だけが原因ではないはず! やっぱりアタックの時はかなり着膨れていたのと、頭や首に巻物などをしていたので、それらがなくなるとパターン認識ができなくなるという体験です。あんなにお世話になっておきながら、我ながら薄情なものですスミマセン。
この時、全員共通して、下山したら一番先に飲みたいものはコーラでした。普段コーラなんてあまり飲まない私も、やっぱりコーラでした。ちなみにキナバル山に登ったときも、下山後にはコーラが飲みたくなったし、なんだかシュワシュワしたものが欲しくなります。そしてビールよりもコーラ。糖分を欲するからでしょうか? ちなみに私たちが辿ったルートはマラングルーと言うのですが、通称「コカコーラルート」と言うそうです。ゲートの売店にコーラが売っているからなのだとか。
そして下りきり、マラングゲートに到着です!! ああ無事登頂できてよかった。無事に戻れてよかった。本当に楽しい6日間の登山だった。ゲートで記念撮影をして、帰着を祝いました。そして一目散に、売店でコーラ! です。コーラは1US$でした。登山前に世間話をした売店のおねえさんとも再会できて、登頂を報告できました。
さて下山後、コーラを飲んだら、広場に集合。一緒に登ったガイドやポーターたちが一同に介して、登頂後のセレモニーが始まります。まずは輪になったところで、ガイドやポーターたちが、歌い踊ります。曲は「Jambo Bwana」。スワヒリ語圏の愛唱歌だそうですが、歌詞にキリマンジャロとか、各ハットや頂上ポイントの名前が入っていて、男衆が集団で足を踏みならしながら歌うそれは、大迫力。後にCDを買い求めようとする人と一緒に、お店で聞かせてもらうと、なんともトロピカルな軽い感じで、ここで聞いた曲とはえらい違いでした。
このセレモニーの歌は、帰国後に音源を取り出して、ipodに入れて楽しんでおります。私たちだけのための歌ですから、すごい贅沢!
歌が終わると、隊長のスピーチで、ガイドやポーターの功績をたたえます。また来年も一緒に働こうというところでは、拍手が起きました。
すごくいいなと思うのが、隊長とガイドが主従ではなく信頼関係で固く結ばれていて、隊長の仕事が「キリマンジャロのガイド」だけではなく、タンザニアのガイドたちのモチベーションを作ることにも繋がっているということ。我々ゲストとガイドも、お互いの目的がはっきり合致して、ガイドがそこだけに集中して全力を尽くしてくれていたこと。ガイドは私たちが安全に登頂できることをサポートするのが仕事で、彼らのホスピタリティもすべてその目的のために費やされます。仕組みがシンプルで、はっきりしていて、必要なことが実践されている。普段の私の仕事(デジタルの色々)を翻ってみると、間接サービスというか、エンドユーザの顔が見えなかったり、本質的な目的に対して、お金の事情、会社の事情、人の事情などが複雑に絡んで、あるべきこと・すべきことがストレートに実現されない、ということが多くなっています。このシンプルな仕組みがうらやましく、帰国後しばらく(今も?)、「デジタルなんてどうでも良い病」
にかかってしまいした。あーあー
スピーチの後は、ガイドやポーター、コックなど、職域別に、ギャラを渡す会となりました。ギャラの内訳で言うと、チップの割合が多く、この6日間の働きに準じて加算され、さらに私たちがお世話になった方へ加算していきます。このあたりのお話は、下山中のホロンボハットで、隊長から説明してもらいました。こういうことが、はっきりと、支払う私たちに開示されるのって、考えてみれば当然のことかもしれませんが、普通はないですよね。私たちは航空券も含めて一括手配を依頼している側に支払ったら、その先で何に使われているなんてわかり得ない。しかし今回は、お世話になった方々にどれだけ分配されるのかをちゃんと説明してもらいました。そして、私たちがしてもらったことに対して、この国の基準ではいくらに相当するのかをアドバイスしてもらい、それを気持ちで加算する。私は、次にまた来た人に、彼らが気持ちよくサポートをしてくれれば良いな、という気持ちで、Nさんにチップを支払いました。
ポーターやガイドはギャラを受け取ると、私たち一人一人に握手やハグをしてまわります。3人のコックが2人しかいないので、なぜかと聞けば、1人は私たちがこの後食べる昼食を作っているとのこと! 申し訳なく、ありがたく。コックと言っても見かけは普通の若いお兄ちゃん。ポーターたちもニコニコしたお兄ちゃんたち。この人たちなくしては、私たちは無事に戻ってくることもできなかったはずです。
セレモニーはもう一度、みんな歌って終わり。美味しい昼食をいただき、休憩してから、ガイドたちも一緒にバスに乗り込みます。補助席までぎゅうぎゅう詰めの楽しいバスで、初日のホテルに荷物をピックアップした後、アルーシャの町へと向かいました。
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