あっ!
という間に終わってしまいましたね。ゴールデンウィーク。例年のごとく。
今年は2日休めば11連休。長い休みは海外に出かけるのが常でしたが、今年は年始のキリマンジャロの記憶がまだ濃厚だったこともあり、前半は実家、後半は登山という、国内でお出かけというパターンで過ごすことに決めました。
前半は実家の近くの里山へ登り、後半は5月ながらも雪が積もる涸沢でテント泊というワイルドな選択を。今年前半のクライマックスと言っても過言ではありません。「涸沢 5月」で検索すると、白い雪に太陽の光があたり、色とりどりのテントがまるで花のように見える風景が。涸沢クライマックスにはきっとこんな景色が観られるに違いない。そして私もそんな写真がとれること間違い無し! そう夢見ておったんです。
そして現実は・・・結果的には別の意味で今年前半最大のクライマックスを迎えてしまいました。いやもう、ホント。何の罰ゲームかと。
■新宿から上高地へ
今回、60リットルのザックと、シュラフ、エアマット、テント泊の用意などをレンタルしました。こういったものは、条件によって使うものが異なり、いちいち買っていたら破産してしまうところに、山道具のレンタルなんていう便利なものがあるのだから、嬉しいことです。そのレンタル品を当日の夜受取り、パッキングをすませて、新宿に新しくできたバスターミナル、その名も「バスタ」に向かいました。
いや、このバスタ、びっくりするよね。ちょっと前に、私はこれができたことを知らず、新宿駅から外に出たら、向かいにも同じ様相の新宿駅があるものだから、いったい自分がどちらに向かえば良いのかさっぱりわからなくなったことよ。2016年4月にできたばかりのこの施設、日本最大のバスターミナルになるそうです。
私たちが利用するのは、その名も「さわやか信州号」。荷物を預けてバスに乗り込むも、利用者がまばらで、結局一人2席占領状態で居場所を確保しました。確かに翌日は平日なので、週末のようには混雑しないとはいえ、ゴールデンウィークの真っただ中ですよ。しかも上高地は二輪草が咲くベストシーズン。こんな時期にバスが空いているなんて、人々が出かけなくなったのか、本当にもったいのうございます。ぐーすか寝ていれば上高地まで運んでいってくれると言うのにねえ。
さて、そんな感じで、さわやか信州号は2度のトイレ休憩を挟んで朝5時に上高地バスターミナルに到着です。バスから降りると、気温が上がっている東京とはうってかわって肌寒く、まずはちょっとおなかにたべものを入れて、トイレでサポートタイツや防寒のメリノウールシャツなどを身につけます。ちなみにここからトイレも有料(100円)になります。
■上高地バスターミナルから徳沢まで
そこから歩いて5分程度で、河童橋に向かいます。河童橋は、超がつく観光地。登山客ではない人たちも多く、食べ物屋さんやお土産屋さんも集まっていて、普段は非常に賑わっているのですが、さすがの早朝で、誰もいません。
そのまま2時間ほど歩いて向かうは徳沢。こちらには滞在の拠点となる山小屋、徳沢園があります。荷物を降ろして、涸沢キャンプ中に不要な荷物を置いていくことができます。とはいえ、着替えが数枚程度で、期待するほど荷物は軽くなりません。
荷物を仕分けたら、朝食です。徳沢園の食堂は朝7時から開いているので、助かります。歩いているときには、定食っぽいものをガッツり食べようと心に決めていましたが、安曇野のはちみつを使ったトーストがメニューにあり、コーヒーとともに注文。意外と乙女な選択でした。やさしい甘さがバスと徒歩でちょっと疲れた身体に嬉しかったです。
■横尾を経て涸沢まで
午前9時15分。雪山で使う軽アイゼン(これもレンタル品)を靴にあわせて調節しておきます。そして横尾に向けて出発です。
横尾までは1時間程度。いったんトイレ休憩です。ここで橋を渡るのですが、そこに看板が立っていて「ここからは登山道です」「午後2時以降の入山は控えてください」などと書いてあります。それもそのはず、ここまではほぼ平坦なハイキングコース。ハイヒールでもなんとか歩けちゃいます。が、ここからは登山の世界。岩道を登った先には、雪が積もった斜面を落ちないように歩いたりと、軽装ではむつかしい場所ですがたくさん待っています。その先には、穂高が控えているし、雪の時期には本当に危険な場所に続いていくわけです。しかし、この橋ひとつで行けちゃうものだから、軽装のまま山に入り込む人が多いのだとか。行ってきたからなおさら言えるけれど、本当に、ここから先の山をなめちゃいけません。
横尾の橋を渡っても、しばらくは平坦な川縁を歩きます。しばらくすると、巨大な屏風岩が見えてきました。クライマーの人たちがよじ上りそうな絶壁です。私はボルダリングとかクライミングとかいうものに、まったく興味がなく、ただ高いところで地上では見られない景色が見たいだけ。屏風岩も眺めているだけでOKです。こういう岩山を見ると、キリマンジャロのマウェンジ嶺を思い出すわね、と、まるで「この夜景・・パリを思い出すわネ」みたいな、ちょっと感じ悪いセリフもついつい口から出てしまいます。
岩場をずんずか登っていくと、少しずつ雪が出てきます。まあ、言うても五月ですから、このあたりはもう融けかかって茶色が混じった雪でした。この辺りでは、まだのんきに写真を撮ったりする余裕があったわけです。
本谷橋という吊り橋に差し掛かりますと、待ちに待った昼食です。なんだか食べてばっかりいるようにですが、結構時間は経過していて、それなりにお腹はすくものです。
ここでのごはんは、家から持参してきたパン、プチトマト、バナナ、笹かまぼこ。同行の友人とシェアしながら、手早く食べました。外で食べるごはんの旨さったらないです。
しかしゆっくりもしていられません。と、いうのも、ここから先は本格的な積雪エリア。かつ、午後からは雨の予報なので、できるだけ早く到着して、腰を落ち着けたいところなわけです。本谷橋からは、軽アイゼンを装着します。しかし、しばらくは岩がむき出しているところが多くあり、しかも道が細くてすれ違いに難儀します。
そして午後1時半。空を覆っていた雲が厚くなり、雨が降り始めました。最初はしとしと、という感じでしたが、ザックカバーとレインウェアを装着している間に本降りに。積雪の上に雨ですから、気温はそう低くないはずですが、足元も緩んできて、歩きづらく。しかしここいらへんは、特に危険というエリアでもないので、そのまま涸沢カールに向けて進みます。
ほどなくして、涸沢ヒュッテの茶色い小屋が見えてきました。しかしですね、目の前に見えているのに、ちっともたどり着かないのです。いつまで歩いても、進んでいかない感じ。こんなときは、キリマンジャロとの比較をしてみるのですが、あの時も「見えているのに進まない」という条件は同じ。しかしキリマンジャロは高度のため酸素が地上の半分でしたから、ここはまだ息が吸えるだけ助かるというもの。しかし、背中の60リットルザックがずっしりと重いです。キリマンジャロはポーターがついてくれたので、荷物の重みがのしかかってくることはなかった。そして天候はキリマンジャロでは寒かったけれど無風で、ここはだんだん強くなる雨風が容赦なくふきつけてきます。うーん、比較しづらいけど、どっちも苦しいのは変わりありません。
そして歩いて歩いてやっと・・・涸沢ヒュッテに到着しました!
到着したら、まずはテント張りです。といっても、ほとんど隊長がみんなのテントをテキパキと張ってくれたため、私たちはシートを敷いたり、エアマットをふくらましたりという、いわゆる寝床作成作業だけでした。甘々ちゃんです。まずは荷物を置いて、ベンチに向かいます。
涸沢ヒュッテの建物の中は、テントの人は入っちゃいけないらしく、雨風が吹きすさぶ外のベンチで休憩です。売店でおでんやラーメンという温かいものがあるのが嬉しかった。みなさん最初はビールを飲んでいましたが、だんだん身体も冷えてくるため、ワインをコンロで沸かして飲んだりしました。夕食はアマノフーヅのフリーズドライごはんとカレー。しかしこれを開けて準備する頃になると、すでに突風と強い雨が横殴りで容赦なく襲いかかり、鍋も袋も皆飛ばされる中、それらを腕で押さえて急いでカレーをかっこむの図。速攻で食べ終わったら、こんな外に座っているのはまるで罰ゲームです。早々にテントに引き上げて、寝袋に潜り込みました。
最近のテントは軽量化されているのですが、こんな薄い布一枚でも、外にいるよりは暖かいです。といっても、氷の上で寝ているわけですから背中は冷たく、持ってきた予備の防寒着をすべて身につけた状態で寝袋にイン。二度と出たくありませんが、夜中にトイレにいったら確実に遭難しそうなので、暗くなりきらないうちに一度思い切って外に出ました。テントの数は少なく、景色は何も見えないけれど、遠くに涸沢小屋のあかりが綺麗に見えました。
夜になるごとに突風がひどくなり、雨が打ち付けられて、テントが浮きました。私は三人同居テントだったのですが、人間の重みでテントを支えている感じ。もうシュラフの中ではやることもないので、キンドルを読んだりiPodでpodcastを聞いたりしているうちに、いつの間にか寝ていました。こんな状況でも図太く寝られる自分が頼もしいです。
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