さて、ポーランド旅行記録も今回が最終回です。
再び戻ってきたワルシャワで、まさかのホテル予約が取れていない事件も無事解決し、ぐっすり眠ることができました。
旅で初めて訪れた時とはまた違って、「帰ってきた」という懐かしい気持ちが生まれています。足跡を残した地というのは、どこでも軽い故郷になりうるものです。だから世界中を旅行したいんだよね。新しい景色を見たいだけではなく、自分の小規模テリトリーを増やしていきたいという気持ちでも。
まる1日過ごせるのは今日が最後ということで、遠足にでかけることにしました。
目指すは、ワルシャワ中心部からバスで郊外に出たところにある、ヴィラヌフ(Wilanow)城。今回はいつものトラムではなく、バスに乗るのでやや緊張しています。
バスに乗ると、どんどんワルシャワ中心部から離れていくので少し心細い気持ちに。車内では、ベビーカーのスペースがあって、私は気付かずにそこに立っていたのですが、ベビーカーを押したお姉さんが「エクスキューズミー」と言って教えてくれたので、「あ! プシェプラッシャム(ごめんなさーい)」と言って場所をあけたら、にっこり笑ってくれました。日本の地下鉄の車内にもベビーカースペースがありますが、だいたいスマホを眺めている人が立ちはだかっていたり、ベビーカーの人がその場所を空けてくれと頼んでいる場面なんて見たことがないですね。席もだいたいサラリーマンが占領していたり。妊婦さんもマタニティを着ているわけではないし、お年寄りも髪を染めていたりするとわかりにくいことが多いのですが、自ら「譲ってほしい」と言える雰囲気にならないもんかねと思います。思いやりも持てないほど疲れる生活をしてはいかんとつくづく思います。
バスを降りたら、すぐそこが宮殿でした。事前情報では結構混んでいるとのことだったのですが、シーズンオフのせいか、閑散としています。広い庭園には、遠足か社会見学かの子供たちが集団で歩いていて、平たい顔族の我々を物珍しそうに見ていました。ああ、どうせ平たいさ。宮殿の中に入ると、それはそれは広い、見どころたっぷりのお城でした。それにしてもいつも思うのは、やはりヨーロッパ文化をよく理解するには聖書の読破が必要なのだろうなということ。宗教的な意匠をほどこした装飾品や内装が、単なる生首文化としか捉えられない薄っぺらなわたくし。どこを見ても生首か、戯れる天使か、オペラ座の怪人か。アメリカの市民権を得るには歴史を学んでテストを受けなければならないと聞いたことがありますが、文化や宗教を伴う歴史的背景が、国の成り立ちや民意の根底に息づいているわけで、それが人々の考え方にも影響を及ぼしていることは当然。とすると、やはりその地に馴染むためにはそのあたりの基礎知識が必要というも当然といえる。旅行だって知識があるなしで見えるものも違うんだろうなと思うと、勉強の意欲も湧くというものです。意欲だけで終わることが多々ありますが。
宮殿の出口には、当時の印刷技術を紹介するお兄さんがいて、当時の版画様式の印刷を体験させてくれました。その体験印刷をした紙をくれるのかと思ったら、体験までが無料で印刷物は有料だと。意外と世知辛いもんです。ちょっと想定よりもお高めだったので、丁重にお断りして宮殿を出ました。
宮殿の庭園にも入れる入場券を買ったので、お庭をぐるっと一回り。お庭には、歴史的建造物にはまったくにつかわしくないキンキラキンのちゃちな動物のオブジェがあったりしましたが、あまりの寒さに駆け足で駆け抜け、庭園の片隅にあったカフェでコーヒーとケーキをいただき暖をとりました。あーさむかった。
宮殿を出ると、反対方面のバス乗り場がよくわからず、うろうろ。宮殿の向かいには公園があり、間も無くやってくるポーランドのお盆のための買い物をする方々がたくさんいました。色とりどりのお花やキャンドル、キャンドル立てなどの露店が出ていました。そこを眺めながらもかなりの時間をかけて反対側のバス乗り場をやっとみつけて一安心。バスはあまり頻繁に出てはおらず、寒いなかかなり待って、やっと来たバスに乗り込みます。
帰りは、ワルシャワ中心部よりも少し前でバスを降りて、歩いてみました。中心部を外れると、より東っぽい雰囲気の建造物が多くなるのが面白くて。「面白い」なんて言っていられない歴史なのですが、四角くて機能性だけを重視した共産文化は、時間も場所も遠く離れた東洋人の目には大変新鮮で、惹かれるものがあります。途中、グラム売りの古着屋さんがあったので入ってみましたが、衣類がかなり充実。社会主義の時代にはこんなの夢のまた夢だったんだろうなと思いながら、これといったものもなかったので何も買わずにお店を出ました。次に来るときには早めにこのお店に来て、防寒用品などを購入したいです。
中心部に戻り、午後からはまたトラムに乗って、開業したばかりのユダヤ人歴史博物館へ行きました。ここは2013年オープンで、ものすごく近代的かつ広くて立派な建物です。トラムの駅から少し歩くのでわかりにくいのですが、近くまで行けば目立つので大丈夫。有史以降のユダヤ人に関するすべての歴史が、最新技術を使って表現されています。正直なところ、モダンかつサイバーすぎて、ちょっと感動は薄かった。それこそ、ワルシャワ蜂起博物館やシンドラーの工場のように、事実と実物と細かな説明に熱意のエッセンスがたっぷりかかったものを見すぎてきたため、システムとして確立されたものに違和感を感じたのかもしれません。でも、展示物や説明は充実すぎるほど充実しています。そして何よりも、どの博物館よりもセキュリティチェックが厳しかった。確か我々が訪れた時期と前後して、ベルギーのユダヤ人博物館で発砲事件があったりしたので、物々しいのも理解できます。博物館を出たらもうとっぷり日が暮れて、暗い中またトラムに乗って帰りました。
夜は本格ポーランド料理へ。写真を撮り忘れてしまいましたが、パンの中にスープが入ったジュレックが絶品でした。
翌日、ポーランド最終日。午後は空港に行かねばならないので、午前中に、入りそびれていた「聖十字架教会」へ。
ここには、ショパンの心臓が安置されているそうです。ショパンはパリで亡くなり、亡骸はそのままパリで埋葬されたそうですが、お姉さんが彼の遺言に従って心臓だけをワルシャワに持ち帰ったのだそう。その心臓がこの教会に埋葬されているそうで、それを見にいきました。
そしてこの教会にも、カチンの森事件で亡くなった女性パイロットの追悼碑があり、クラクフのヴァベル城の前で十字架を見つけたときと同じ気持ちになりました。
さて、いよいよ空港に行く時間です。荷物をまとめて、ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらいます。ワルシャワのタクシーはぼったくりが多いと聞いており、緊張して乗り込みましたが、運転手さんはおつりまできっちりくれるとても良い人。信号待ちでおもむろにニベアを取り出して、唇のまわりをぬりぬりしているのもかわいかったです。最後に出会ったポーランド人が良い人で本当によかった。こういうのって国の好感度にとっても作用します。私も気をつけよう。
空港では、やはりご飯が暴力的に高値だったり、時間が近づいても電光掲示版に情報が表示されなかったり、ちょっとハラハラさせられましたが、無事搭乗。行きと同じく、ドーハでトランジットをして、無事日本に帰り着きました。
9日間の旅行でしたが、個人旅行だったので好きなように行動できて本当に楽しかった。良い人ばっかりだった。でも行きそびれたところもたくさんあった。初めてのヨーロッパがポーランドだったのは、本当に良い選択だった。そして近いうちにまた訪れたいです。