懐かしの映画「ベルリン 天使の詩(Der Himmel über Berlin/Wings of Desire)」が上映されていたので、観に行ってきました。
この映画、1987年公開の、フランスと西ドイツの合作映画で、「パリ、テキサス」や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)の作品です。私はたぶんロードショーではなく、再上映か再々上映で観ていると思います。が、当時はヨーロッパや歴史の知識が乏しく、今思うと恥ずかしくも「モノクロのおしゃれで退廃的な、おっさん天使のラブストーリー」という理解しかできませんでした。
しかし、映画や本に興味を持ち、旅行に興味を持ち、年月を経て、学校の授業では教えられなかった「近代史」に興味を持ち、ヨーロッパ映画や本には必要不可欠な基礎知識が少しは蓄積されたところで、若い頃はお金がなく、かつ、旅行費用がまだ高かったため、なかなか出かけられなかったヨーロッパにも、わずかながら出かけられるようになりました。まだまだ知識は足りないですが、だんだんと色々なエピソードがつながりを持ち始め、時が経つごとに興味はどんどん旺盛になり、そのたびに本も、映画も、ニュースも、実感値が上がってくるのを感じています。行ったことがある、見たことがあるものというのは、もう他人でも他所の話でもありません。
そんなわけで、この「ベルリン 天使の詩」は、何十年の時を経て観てみると、まったく違った映画になっていました。個人的に。
まず、ベルリンという街は歴史上特別な町であるということが、当時も感じてはいたものの、それは単なる舞台ではなくこの映画自体の骨子であり内容物であり表層でありすべてであるということを、強く強く感じました。世界中の誰もが知るとおり、ナチスの支配下で第二次世界大戦の主舞台となり、容赦なく他国に攻め入り、ユダヤ人を虐殺し、連合国からの報復として町がこっぱみじんに破壊しつくされ、終戦後は世界から抹消されるべきとまで考えられていたドイツ。東西に分割統治されたなか、東ドイツの中にあったベルリンは、さらにその中が東西に分けられ、今度は鉄のカーテンで分断されるという時間を迎えます。東ベルリンには秘密警察が跋扈し、それでも命をかけて西へと渡って自由を得ようとする人々がいて、とうとう東西統一を果たし、「ベルリンの壁」は市民によって壊されます。デビッドボウイが「Hero」を歌い、ケネディが「私はベルリン市民である」と言った町。壁が壊されたのは1989年、その2年前のベルリンが舞台ということを理解しているかしていないかで、この映画の見方も変わってくるというものです。
ところどころ挿入されるナチス時代の映像。東西の壁の緩衝地帯をうろつく老人や天使。東から西へとダイブする若者。非常に難解なこの映画、私も今回観ただけで理解したわけではありません。映画評論家の町山智浩さんが、非常に細かくわかりやすく解説してくださっていて、わずかながらも自分の持っている知識とかけあわせると、この映画の背景や奥行き、伝えたいことが浮き彫りにされてきます。(町山さんの解説はこのページの下にリンクしておきます)
さて、私は2018年の夏に、ベルリンに行ってきました。歴史の現場を目撃したいという欲が満たされただけではなく、もっともっと居たい、できることなら住んでしまいたいとまで思うほど、ベルリンとドイツに惹かれています。「ベルリン 天使の詩」に出てくる色々な場所にも行ってきました。今回はその場所を紹介していきます。
まず欠かせないのがこの、コートを着た天使が肩に腰掛けている黄金の女神の像。これを見た瞬間、映画のシーンが脳内で再生されました。
最初のシーンでブルーノ・ガンツ(主役の天使)が佇んでいた、カイザー・ヴィルヘルム記念教会。戦争で崩れたままの姿で今も残されています。
老人ホメロスが「ポツダム広場はどこへ」と探している、ポツダム広場は現在、商業施設が多く立ち並ぶ賑やかな駅前広場になっています。
途中で、壁を超えて西へ行こうとして落ちる青年が出てきましたが、現在のベルリンに行ってもそういった人々の気配が残されています。
最後に、ヒロインの女性が、ニック・ケイブのライブを観に行くのですが、ベルリンの音楽シーンはアンダーグラウンドでパンクでニューウェーブで本当に格好よかった。ちょうど昨年、その当時の映像を流すエキシビションがやっていたのです!
最後に町山さんの解説を。まずは予習編。 そして復習編。