Hiroshima Atomic Bomb Dome

出張で広島に行ってきた。
その三日前の徹夜作業が尾を引いて、時差ぼけ状態での五時起き、それでも飛行機好きには羽田空港に行くだけでちょっと気持ちがあがる。
打ち合わせ時間よりも移動時間のほうが長いという、このインターネットの時代に何なのさ! と文句たれていながらも、広島ならば、ちょっと時間があったら廻りたいところがたくさんあった。

私は遅ればせながら山崎豊子先生の「二つの祖国」を読んだばかり。世界の近代史に興味を持ち、戦争関連の本やドキュメンタリーを見続けてはきた中で、歴史を知るということの重要性をひしひしと感じている日々の中、我が国日本もきな臭い話があまりに多くなってきた今日この頃、ポーランド旅行で訪れたアウシュビッツ強制収容所の基本理念に強く頷くわけです。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在についても盲目となる。非人間的な行為を心にきざもうとしない者は、またそうした危険におちいりやすい」(西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の言葉)

そんなわけで、平和記念館にも行きたかったのだか、想定外のトラブル発生で残念ながらタイムアップ。しかし空港へのリムジンバスの時間を気にしながら、Google Map片手に原爆ドームだけは行ってみたのでした。

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初めて目にした最初の感想は「思ったより小さい」。
骨組みだけが残されているんだから、それはそうでしょうけれど、イメージしていたのはもっと大きなものでした。やっぱりいくらインターネットで世界の裏っかわの風景が見えたとしても、実際に足を運んで見てみないと「実感」はできないものなのだ。ああ、お仕事でも直接足を運ぶことに文句をたれてゴメンナサイ。(でも徹夜直後の五時起きは勘弁してくれ)

二つの祖国では、何が正しくて何がよりどころなのかが、それぞれの登場人物の視点で描かれていたが、戦争という事態の記録の中で、それはいつも結論のない一大テーマだ。私は過去少林寺拳法をやっていて、正義のために正義のためにと教えられてきたが、私の正義とあなたの正義はいつだって違う。私の正義だっても、立つ位置や状況によって、180度変わってしまうし、いつも正しくもあり誤りでもある。正義の味方のように、勧善懲悪が成立するのって、この世の中のすべての中で数パーセントもないように思えてくる。

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私なりにこれからも、知りたいことをちゃんと知る努力をし、足を運んで感じ取ろうと思っております。
後ろ髪をひかれながら、バスの時間が迫ってきたので原爆ドームを後にする。次の機会にはもっと時間を確保して来るともさ。