【Malaysia】Indian God in Malaysia

Indian_gods

2014年2月のカレンダーはこの画像を使った。
これは、マレーシアのクアラルンプール内にある、バトゥケーブでのひとこま。洞窟の中にヒンズーの寺院があることで有名だが、周囲には、色鮮やか、かつ、とんでもなくどでかい神様が数人立っていらっしゃる。その周りでインド系の方々が、実家に帰ってきたかのようにくつろいでいる。家族で参拝に訪れている人たちも多く、マレー系、中国系の人たちも遊びに来ているようで、非常に賑わっていた。

そこにいるインド系の方々は、インドにいるインド人のよりもややマイルド。一人でふらふらしてゆっくり写真を撮っていても、特に誰に話しかけられたりジロジロ見られたりすることもない。でも親切。お坊さんが定期的に出てきて、祈ってくれるのを、みんな並んで待っている。そしてこの写真のように、参拝を終えた家族連れや親戚一同が、ひんやりとした石の床でくつろいでいる風景があちこちに。

一人旅でヒンズー教徒でもないからお坊さん待ちもなくヒマな私は、ああなんだかまたインド行きたくなるやんか、と思いながら、あっちうろうろ、こっちうろうろ。ホント、こんなとき、旅ほど贅沢な時間はないと実感する。

【Bali】Penjor

penjor

2014年版カレンダーの1月は、バリ島のペンジョールの写真にしました。
風になびくペンジョールは、お供え物のチャナンと並んで、バリ島を代表する宗教的シンボルで、祭事の時期になると、島の道の左右がみっちりとペンジョールで埋め尽くされます。
布バージョンと自然素材バージョンあり。そのどちらも、モダンデザインと伝統的デザインがあり、バリの友人は「神様が宿るのは昔ながらのデザインで、私はそっちのほうが好き」と言ってました。
ほとんどの人がそう思うように、若者ちゃんたちの化繊のミニスカ浴衣を見ると、私もそう思います。

2014 calendar

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今年で3回目になる「旅カレンダープロジェクト」、2014年版ができあがりました。

3年前、震災や手術やらで、「どこにも行かない年」になった2011年。どうせ出かけられないなら、と過去の旅写真を整理しながらふと、これらをちょっと加工してみようかな、と思いつき。Photoshopの進化についていけなくなりつつあった矢先だったので、もう一度勉強し直す気分で色々やってみたら、いやこれがもう、楽しくて楽しくて。

まずはカードにしてみたのだけれど、そんなにカードを配布する文化じゃないんだよね、ニッポンは。それと、どうにも絵葉書単体では気分も上がらず、という中で思いついたのが、12ヶ月をイメージして写真を分類し、カレンダーにすること。

卓上カレンダーは、うんと機能的なものか、写真が綺麗なものにしたいなあという気持ちがあって(だって机の上で日にちを確認するたびに好きでもないキャラクターや絵を眺めるのはつまらないじゃーん)、ならばうんと自分が好きな写真だけにしてみようという、個人利用のつもりでした。最初は。

でも出来上がってみたら、お歳暮やクリスマスプレゼントじゃないけれど、来年もよろしくね、という気持ちでプレゼントするのもいいなあ、と思い始めた。消えものに近いから、もらった人もそう負担にはならないだろうし。
それが一番最初の年。そして2年目も、同じように続けてみたけれど、プリンターのインクが案外すぐなくなってしまうアンド高価なのと、紙の質に限界を感じたのと、カッターで切ったりするのに思いのほか手間がかかってしうのが課題だった。

そして3年目の今年。オンデマンド印刷という、小ロットかつ安価な印刷屋さんを見つけたので、試してみることに。
なんと入稿翌日には発送されて、届いたものは満足いく仕上がりだった。けれど、なんというか、手作り感の温もりが、ちょっと薄れた気もする。私の目指すのは、クオリティは最高で細部に隙がなくかつ遊びがあるもの。これは来年の課題です。

カレンダーの表紙の森は、近所の公園。桜のシーズンに撮影した木々の影が気に入っていて、私の感じた匂いや空気を強調してみた。12ヶ月すべての写真ともに、音や、温度や、匂いを思い出しながら、加工した。
写真としては邪道かもしれないし、デザインとしては拙いものかもしれないけれど、私が感じたこれらの空間から、12ヶ月分選びました。

カレンダーは一年に一度しか作らないものだけれども、こんな形で、旅の空気を伝えていきたいと思っております。

【香港】HongKong

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香港というものは、猥雑な闇が蔓延している都市、と思っていた。
すこし昔の人だと「香港に売り飛ばされる」という常套句を耳にしていただろうし(私も)、往年の刑事ドラマ「Gメン75」では定期的に香港マフィアと戦うシリーズが放映されていて、怪しげなカンフーの達人は、皆一様に、闇にまみれた雰囲気を持っていたし。
「深夜特急」で知った重慶マンションや、何かの雑誌で目にした「九龍城」、そこで夜な夜な行われていたという薬物売買、賭博、違法行為はまさに魔窟のイメージそのもので、何度もその中の空気や匂いを想像したもんだ。循環の悪い部屋で不潔なシーツにくるまる夜や、油ギトギトながらも旨い食事。一度迷ったら出てくることができない、という言われも、心惹かれた。
そんな香港を、険しい表情で足早に歩く人というものに、私はなってみたかったのだ。実際に私が訪れた香港は、既に中国返還後で、町にはオシャレなカフェが点在し、九龍城もとっくに取り壊されていた。私は夢を叶えることができなかった。

映画監督の王家衛が、私が想像していた香港の空気そのものをスクリーンの中に映し出してくれて、私はそれを繰り返し観ながら何度も香港を疑似体験した。「恋する楽園」「天使の涙」「ブエノスアイレス」、どれもスタイリッシュでロマンチックな映画でありながらも、私が感じていた「魔窟」の空気がうっすらと感じられる。雑多な部屋と、高温多湿、怪しい職業の男女、アジア独特のエネルギー。現在、この世からは消失してしまったあの香港の濃厚さは、私が旅の中で追いかけるひとつのイメージになったわけです。

【India】Mehendi

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最初にインドに行こう、と思ったのは、ちょっと気持ちがふさいでいたときだったな。
いつかは行ってみたい国、あこがれの国、ではあったけれど、現実的にインドを旅するなんて、大それたことは私にはできないよ、と思っていた。その時、今考えると大した出来事ではなかったけれど、もういいかなー、と色々なことを諦める気持ちになっていて、それなら死ぬまでにやりたいことを何でもやったれ、と考えて、まずはインドに行くことにした。映画のタイトルにもあったが、誰でも時々そういう「死ぬまでにやりたいこと」をリストアップしてこなそうとする時期ってあるのでは? 私にとって、たぶんはじめての「死ぬまでにやりたいこと」を考えた時期だったと思う。

最初のインドの旅は、超ハードな北インドの見所を欲張って周る行程で、途中で具合が悪くなるわ、鉄道の中でインド人のオッサンに英語の発音をバカにされるわ、鉄道の中で日本人旅行者と喧嘩してしまうわ(そのオヤジは俺はいつも外国で女を買うんだと自慢げに話してくるもんだから)、なんともインドパワーに自分のパワーがおいついていかない感満載だった。

けれど、タージマハールは美しく壮大で圧巻だったし、ガンジス川の早朝は頭がクラクラするくらいインド的で、敗北感でうちのめされながらも、いつかまたゆっくりこの国にくるんだと、かたく、心に誓ったのだった。

その後、一人でインドに何度か訪れたけれど、なぜか決まって北インドばかり。北は南に比べてハードだよ、南にも行ってみなよ、と色々な人に言われたけれど、なんというかそのハードさも含めて、インドにぶつかっていく旅は毎回エキサイティングだった。なんでわざわざ休暇をとってこんなシンドイ思いをするわけ、と思いつつ、日本帰ってきてから、ふと窓の外にクラクションが響いているのを聞くと、あの無駄にうるさいインドのクラクション合戦を思い出して、うずうずしたり。(「インドなんて二度といくかボケ」の作者とちょっと気持ちが通じる)

人生の中で最悪のトイレに入ったのもインド、深夜バス旅行の途中で知らない欧米人の女子と連れ野ションをしたのもインド、良い人だ、と思った瞬間にお金をせびられてキレたのもインド、でも、ちょっと隣に立っていただけなのに家族ぐるみで世話を焼いてくれたり、席が隣だっただけで寒い夜中のドライブインで熱いチャイをおごってくれたり、人が過積載の鉄道やトラックがばんばか走っていたり、この写真のように隣の女性の手のひらに美しい模様が描いてあるのもインド。凄惨な事件や社会の格差問題が報道されてばかりだけれど、あの広い大地にいる美しい顔を持つ人たちの逞しさとゆるさと温かさが、そろそろ恋しい。インド行きたい。

【Malaysia】The view of Airport

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デパートの1階を歩いた時に「空港の匂いだ」と言ったS君は元気だろうか。(誰?)
あの化粧品各社のカウンターから漂う匂いは、確かに免税店の香水が混ざり合った匂いにそっくりだ。私もあの匂いをかぐとちょっとうずうずする。

空港というのは、まさに結界。出国のスタンプをボン、と押されると、そこから先ではもう、その国にいる人ではなくなる。無愛想な入国管理局の人の前に、若干緊張しながら立っているのは、閻魔様の判定を待っているような気分。無機質にページをめくっている管理官が、良い音を立ててスタンプを押してくれる瞬間、ふわっと身体が浮遊するような開放感が味わえると思いませんか?だから海外旅行は止められないっす。

空港内の案内表示は、国際空港であれば、だいたいはどこもわかりやすいものだが(もちろん親切でない国もいっぱいあるけれど、私はまだ致命的にわかりにくい国際空港にあたったことはない)、国内線はそうも行かない。たとえば、以前、ネパールの国内線空港に行ったときには、私はもう目指す飛行機に乗るのは無理と思ったことよ。なぜなら看板・電光掲示板のたぐいはいっさいなく、入り口でおっちゃんが行き先をぼそっと言うのみだった。それも大声で叫んでくれれば良いものを、なりのじいさんに伝達するくらいのボリュームで、行き先をつぶやくのみ。仕方なく、そのおっちゃんが何か言うたびに走って確認しに行った。(インドの鉄道でも同じシチュエーションだった)
しかし、世の中、上手くできているもので、そういうシチュエーションの場合、その場にいる慣れた、そしてヒマそうな人たちが、あれこれ世話を焼いてくれる。チケットを持って不安げな顔をしていると、「あんたの乗る飛行機はまだだから、とにかくそこで待ってろ」と仕切ってくれるのだ。ブラボーヒマな人の多い国。

写真はクアラルンプール国際空港の案内版。この空港は黒川紀章の建築だそうで、明るく、非常に開放的。看板は紺色の地に鮮やかな緑や白抜きの文字・アイコンが使われていて、デザインもとても落ち着いている。新興国の空港は、来るたびに様相が変わっているものだけれど、この空港は最初からモダンだったためか、最初に訪れたときと変わったところがない。
空港から外に出ると、楽しくても、やはり緊張したり、警戒したりするものだ。けれど到着してこの空港の中にいるうち、そして帰国のために戻ってきたときは、ちょっと空港システムで守られてほっとした気持ちになる。

【台湾】Buffalo’s dream

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冬の台湾を旅行したときに、空港にいたカラフルな水牛。
白いセメントの水牛に、アジアの国の国旗や草花があしらわれて、
なんというかそこだけ、小さな暑い国の運動会のようだった。

この画像は、その年末に作った卓上カレンダーの、1月用に加工したもの。
自分でも気に入ったので、机の横にひきのばして貼ってある。
実物はもうちょっとマネキンっぽかった。