【登山】夏の八幡平

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夏休みを秋口にとることが多いため、あまりお盆に帰省することはないのだが、今年は姉の帰省にあわせてお盆の週末に帰ってみた。

家族の関係はひとそれぞれで、まったく帰省しない人もいるし、ちょくちょく帰る人もいる。私はどちらかというと後者で、それは親が年をとってきたことも理由のひとつ。正直、若い頃は、まあよくある話であーんまり親との関係が良好とは言えなかったのだが、年老いていく親を見ながらちょびっとだけ成長した私は、一緒に過ごす時をちょっとでも多くしておこうと考える。ほんとに最近のことだけれど、生命体なのだから当然いつかは期限がくるものだと思うようになってきた。あとは、若さ故のやんちゃで無礼者なこっぱずかしい過去のふるまいを、まめに帰省して楽しく過ごすことで忘却の彼方におしやっていただこうという魂胆もある。あ、それと、帰省している間はご飯を自分で作らなくても良いことが大きい(これが最大の理由)。

最近の帰省では、山に行くことが多い。うちの母は登山マニアで、今は足の具合がよくないためハードな山は登れないが、かつては毎週山に出かける元祖山ガール(と言ってよいなら)だった。というわけで、近場の、軽い山歩きをするわけです。

植物の名前は母が教えてくれるのだが、もちろん忘れました。なんとかりんどうだったかと。
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鳥の足のような草木。
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ちょうちょがいたり。
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頂上ではお弁当を食べるのだが、お弁当は父が作る。私は何も作らない。が、バーナーを持ってきてお湯をわかし、恩着せがましくミルクティやらコーヒーを入れてあげる。あ、もちろんお湯をとかすだけのインスタントね。
頂上の景色もおだやかである。
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八幡平はスキーかスノボで来たことがあったかと思うけど、夏山としてもなだらかで景色がすばらしい。
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もともとは火山帯で、溶岩が地層にたまっているから、水が地中にしみていかずに湿原になるそうな。
光があたってまるで星のようではないか。
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見上げればひこうき雲も。
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行ったことないけど、インドのダラムサラで泊まった宿のおにいに勧められた、パキスタンの高原の風景の写真を思い出した。行きたい行きたい(でも国境付近てやばいのでは?と思ってやめた)と言っていたが、地元に似た風景を見つけた。灯台下暗し。
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【登山】Long and winding road to the peak of Mt.Fuji

二年目の富士山も登頂ならず・・・orz
ホント近くて遠い山に認定せざるをえません(当社比)。

昨年は1日目快晴、しかし8合目の早朝に暴風雨・・・で登頂ならず。私は初回富士山だったが、パーティの中には2回目のリベンジ組がちらほらいて、やっぱり9月の富士山は天候がねえ、ということで今年こそはの8月最終週末の登山計画に。

一週間前から天候をチェックしたところ、週末だけが奇跡のように晴れ。あまりの幸運に悪い事が起こるんじゃないかとビビったのがいけなかったのか、日を追うごとに予報が少しずつずれていき、木曜の時点では週末が雨・・・。

雨天決行なもので小雨の中新宿から出発するも、東名の途中で雨が上がった! バスの中は明らかに歓喜に満ちあふれ、全員が希望に瞳を輝かせていたに違いない。

しかし五合目到着時には再びの雨・・・。誰と誰との組み合わせが雨を呼んでいるのか心の中で邪推するも、もはや二年連続の悪天候では組み合わせのパターンがありすぎて、雨カップルも認定できないありさま。

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登山の必須アイテムレインウェアの上下と、レインスパッツ、レインハットを装備して登山開始。私は昨年の大雨の中、母のおさがりのゴアテックスグローブが、もはや防水の「ぼ」の字分も役に立たなかった教訓から、おニューの防水グローブで挑む。さらには仕事が忙しすぎるとやってしまいがちな深夜のアマゾンショッピングで購入した防水ウェアラブルカメラもスタンバイOK。今考えてみると、これだけ防水グッズを揃えているのが雨を呼んだんじゃ・・と思わざるを得ない状況ではある。

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高山植物を楽しむ余地もない。周囲に立ちこめる白いものが、雲なのか霧なのか雨なのかよくわからないまま、苦行のように進む進む・・・。

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しかしだ!
「あーたまーをーくーもーのーうーえーにーだーしー」という歌のとおり、富士山は雲の上につきぬけているのであーる! 当然、登り続ければ、雲の上に出るのであり、青空や太陽が徐々に見えてくるではないですか! ひゃはー!

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そして8合目到着。3300mは空気が薄く冷たいが、見下ろす雲海の上には青空が!
これは今夜の頂上アタック、もしかしたらもしかするかも!

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雲海を眺めながらカレーを食べていると、遠くに小さな丸いお月様が!
明日が満月とのことで、ほぼまんまるの美しい月が、目線ちょうどのところに鎮座している!

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宿のおにいちゃんも、「これは今夜ばっちりでしょ!!」と豪語。我々も期待に胸ふくらませて就寝の準備に入る。

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月はますます大きく、暗くなると明るく輝きだす。
「これだけ明るいと、ヘッドランプもいらないよ〜」と山小屋のおにいが期待をあおる。
登頂アタックは2時出発。床に入ってもろくに眠れないのだが、少しでも身体を休めるために早めに就寝。
深夜2回ほどトイレに行ったが、霧は出ているものの、雨はなし。

だがしかし。

1時半にガタガタという周囲の音で起こされ、さて準備と思ったところ、外は暴風雨とのこと・・・
まじか。またか・・。

リーダーの判断で登頂アタックは今年も断念。全員そのまま朝までフテ寝し、朝ご飯をたべて暴風雨の吹きすさぶ中、下山したのでした。
顔に雹だか霰だかがあたって痛いわ、ひどい風に飛ばされそうになるわ、岩場はツルツル滑るは、途中で腹は減るはで、大変な下山ではありましたが、全員無事で帰り着きました。

来年こそは。
って去年も言った気がするが、いやほんと来年こそは。

Hiroshima Atomic Bomb Dome

出張で広島に行ってきた。
その三日前の徹夜作業が尾を引いて、時差ぼけ状態での五時起き、それでも飛行機好きには羽田空港に行くだけでちょっと気持ちがあがる。
打ち合わせ時間よりも移動時間のほうが長いという、このインターネットの時代に何なのさ! と文句たれていながらも、広島ならば、ちょっと時間があったら廻りたいところがたくさんあった。

私は遅ればせながら山崎豊子先生の「二つの祖国」を読んだばかり。世界の近代史に興味を持ち、戦争関連の本やドキュメンタリーを見続けてはきた中で、歴史を知るということの重要性をひしひしと感じている日々の中、我が国日本もきな臭い話があまりに多くなってきた今日この頃、ポーランド旅行で訪れたアウシュビッツ強制収容所の基本理念に強く頷くわけです。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在についても盲目となる。非人間的な行為を心にきざもうとしない者は、またそうした危険におちいりやすい」(西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の言葉)

そんなわけで、平和記念館にも行きたかったのだか、想定外のトラブル発生で残念ながらタイムアップ。しかし空港へのリムジンバスの時間を気にしながら、Google Map片手に原爆ドームだけは行ってみたのでした。

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初めて目にした最初の感想は「思ったより小さい」。
骨組みだけが残されているんだから、それはそうでしょうけれど、イメージしていたのはもっと大きなものでした。やっぱりいくらインターネットで世界の裏っかわの風景が見えたとしても、実際に足を運んで見てみないと「実感」はできないものなのだ。ああ、お仕事でも直接足を運ぶことに文句をたれてゴメンナサイ。(でも徹夜直後の五時起きは勘弁してくれ)

二つの祖国では、何が正しくて何がよりどころなのかが、それぞれの登場人物の視点で描かれていたが、戦争という事態の記録の中で、それはいつも結論のない一大テーマだ。私は過去少林寺拳法をやっていて、正義のために正義のためにと教えられてきたが、私の正義とあなたの正義はいつだって違う。私の正義だっても、立つ位置や状況によって、180度変わってしまうし、いつも正しくもあり誤りでもある。正義の味方のように、勧善懲悪が成立するのって、この世の中のすべての中で数パーセントもないように思えてくる。

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私なりにこれからも、知りたいことをちゃんと知る努力をし、足を運んで感じ取ろうと思っております。
後ろ髪をひかれながら、バスの時間が迫ってきたので原爆ドームを後にする。次の機会にはもっと時間を確保して来るともさ。

Calendar Project

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2011年からスタートした「カレンダープロジェクト」。
その年、震災があり、自分自身も大きな病気をしてしまったことで、しばらく旅に行くことができませんでした。
せめて旅の気分を味わいたいと、過去の旅写真を加工してカードや手紙を作っていましたが、年末になりカレンダーを作ることを思いつき。
写真を選び、加工・編集し、印刷もカットもすべて手作業で作ったそれは、手作り感あふれる卓上カレンダーで、自分が旅気分を味わうためのものでしたが、親しい友人にも配布することにしました。

カレンダーを渡すという口実で、親しい友人に連続して会えたり、喜んでもらえたりがなんとも嬉しくなりまして。
その後、毎年カレンダーを作ることになりましたが、仕事が大変なときにこのカレンダーを眺めてなごんでいるとか、来年も中身だけ欲しいとか言っていただけるので、毎年少しずつバージョンアップして作り続けております。
ちょうどオフィスの机におけるくらいの大きさにしているのは、私自身がそれを眺めて旅を思い出したいからでもあります。
こんなふうに様々な形で、旅の思いを届けるプロダクトやコンテンツを作っていくのが、長きに渡る目標でもあります。

【台湾】Smartphone中毒

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アジアの国を一人で旅するとき、いつも、ああ鬱陶しいと思うことがありました。
人懐っこく、外国人に興味があり、何かと世話を焼いてくれるその地の人に感謝をすることは多々あれど、ぶらっとただ町並みを見て歩きたい時、写真を撮りたい気持ちが高まっている時、ちょっとした心配事に思いめぐらせている時、他人と話す余裕がない時でも、アジアの国の人々は、私を放っておいてはくれません。ええ、それはモテるとかそういうこととは別の意味で。

アジア名物、平日の昼間から道端でヒマそうに座っているおっちゃん群。市場で売り売りのおばちゃんたち。ナンパ半分商売半分、興味本位半分の兄ちゃんたち。カフェでコーヒーを運んできてそのまま「どこからきた」「いつきた」「いつまでいる」と判で押したように同じ質問をするウエイトレスやウエイター。イスラムの国はまだマイルドだが、ヒンズーの国の人なつっこさといったら、滞在中は「うおー、ちょっと一人にしてくれや!」と思ったりもするが、日本に帰ると見知らぬ人と話すことがなくなり、寂しくなったりもする。

しかし、何度目かのインド滞在時、あれ? 今回は話しかけられる回数が減った、と思ったことがありました。地下鉄が走り、シネコンができ、郊外型大型ショッピングセンターが建てられる、発展めざましいインドだから、人も先進国的にマイルドになってきたのかもなあ、と。それは、その後再訪したマレーシア、インドネシアでも、同じことを思った。

いやいやいや、人がマイルドになったのもそうだけど、それだけじゃない。みんなケータイを手に持っているからだ。
今や、誰もがスマホを手に、画面を眺めている。その結果、以前のように、目をあわせて意味もなくにっこり笑いあうこと、お店の前でぼんやり外を眺めてるおっちゃんと立ち話をすること、顔を何度か見たことあるだけのお兄ちゃんに根掘り葉掘りプロフィールを聞かれることが、だんぜん少なくなった。

みんながスマホばかり見てなんだか世の中寂しい、的なことをアピールする動画が、Facebookでシェアされて、それをみんながスマホで見ているっちゅうパラドックス。スマホを眺めている人たちは、周囲を歩く人への興味を失って自分のことばかりに集中しているように見えるけれど、スマホの画面から見える他人の挙動には興味を持っている。市場で店番をしているおっちゃんも、お客が来ない手持ち無沙汰をスマホで解消。画面の向こうで何かが動いていることで、ちょっと安心することだってある。

一人旅が好きで、一人で自由に好きなところへ行くことを愛していた私だが、必ずその土地で、友達や顔見知りを作るようにしていた。海の向こうで使う言葉も違う人と、お互い不自由な言葉を操りながらちょっとしたことを話すのがとても好きだった。そう考えると、やはり少しさみしい。

とはいえ。

スマホのない時代よりも友達は作りにくくなったが、以前ならメールアドレスを交換してそれっきりになるところを、ソーシャルネットワークでその後ずっと繋がるようになった。もう、意味もなくたくさんの人と触れ合うことはなくなったかもしれないけれど、旅のコミュニケーション自体が形を変えたともいえる。インドで知り合りあった大学生、バリで知り合ったボヘミアンなねーさまとも、めったにメッセージをかわすことはなくても「今何してんのー」くらいは覗き見ることができたりする。それはそれでちょっと楽しみではあるわけで。

【Bali】CANANG

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4月のカレンダー画像は、バリ島のお供え物、チャナンで。

バリ島の女性たちが、朝、腰布を巻いて、お盆にチャナンをたくさん乗せて家のあらゆるところに供えていく姿がどれほど美しいか、ということを、バリ好きの友達とよく話したっけ。背筋をシャンとのばして、台所、門、部屋の入り口など、神々が鎮座する場所にチャナンを置き、空に円を描くように線香をまわして、祈りを捧げる。あの島のヒンズー教は善悪二元論だから、悪い神様にもちゃんとお供えをする。まだ太陽が低く、夜露の湿り気が感じられる時間帯、家庭でもお店でも、安宿でも高級ホテルでも、同じように女性たちがお供えをする姿が見られた。まだ爆弾テロ事件の起こっていないあの頃、バリ島に通っていた私たちは、それを眺めるのがとても好きだった。

特徴的なのが、一度供えたチャナンは、ぜんぜん大事にされないこと。そのまま風に飛ばされたり、中のご飯を狙った犬につぶされたり、はたまた通りがかりの人に踏まれたり、夕方頃になると道ばたには茶色いゴミと化したチャナンがそこら中に転がっている。お供えをして祈るその瞬間までがチャナンのお役目で、その後は蹴られるまま踏まれるまま、砂にまみれておしまい。でもまた翌朝になると、女性たちはお供えものを持って歩く、が日々の営み。

私がバリ島で仕事をしていた頃は、泊めていただいていたおうちでも、チャナンを手作りしていた。けれどその頃でも、市場で何個かをビニールに入れて売っていたし、だんだんバリの人たちも忙しくなっているので、いちいち手作りをする時間はなくなってしまったようす。思えばその頃は、まだ冷房のある店が珍しく、お店の子たちは入り口付近にぺたんと座ってぼんやり客待ちしていたり、夜は真っ暗になってしまって野良犬の恐怖におびえたりする時期だった。昨年訪れたときは、コンビニの蛍光灯が一晩中ついていたり、どの店もクーラーがガンガンかかって寒いくらいで、なんだか違う国にきたような気持ちになったです。

でも、やっぱり一歩奥に入ると、夕景の中でバリ特有のワイルドな椰子の木はわさわさと暴れていたし、ヒマそうなおじさんたちは健在だったし、バイクに乗ったお兄ちゃんたちもお祭りになると白いサパリでビシッとバリニーズスタイルを決め、ごはんを食べるときには数粒地面にいる悪霊に供えることを忘れたり忘れなかったりしてる。私たちバリ友達は、何年足を運ばない時期があっても、どんなに便利に進化して風情が薄れてしまったとしても、あの島がこの地球上に存在していること、そしてチャナンが毎日供えられていることで、なんとなく安心できる、そんな一生治らない乙女チックな病気にかかってしまっているのでした。

【台湾】RED冰糖葫蘆

冰糖葫蘆

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「話によると、私は慈禧を見るなり、大声で泣きわめき、全身を震わせてどうしても止められなかったという。慈禧はそばの者に冰糖葫蘆[サザンカやカイドウの実を串刺しにして蜜をかけたもの]を与えるように言いつけたが、私はそれをいきなり床に投げ捨てて、「ばあや、ばあや」と泣き続けたので、慈禧はすっかりご機嫌ななめになり、「ほんとにひねくれた子だ。あっちへつれていって遊ばせておやり」と言った。
(「わが半生(上)」 愛新覚羅溥儀 ちくま文庫より引用)

その冰糖葫蘆がこれ。ちなみに慈禧というのは言うまでもなく西太后のこと。幼少の溥儀が、西太后と接見するシーンは、映画「ラストエンペラー」の中でも再現されていたが、この自伝を読んだのがずいぶん昔だったので、その中にこの糖葫蘆が出てきたことは失念していた。なお、「わが半生」を読み返しているのは、先日川島芳子氏の妹さんが亡くなったというニュースを見たからである。私は一時、清朝末期関連を本を読みあさっていたことがあり、それから何年たっても川島芳子や愛新覚羅の文字を見ると、眼の前に自分のイメージが作り上げた物語が展開してしまうであーる。(もちろん脳内BGMは坂本教授のラストエンペラー)

さて、冰糖葫蘆。これを初めて食べたのは、2009年にはじめて台北を旅行したときのこと。毎晩夜市でご飯を食べていて、糖葫蘆の屋台がいくつも目についた。一見、日本の縁日にもあるりんご飴でしょ、と思ったのだが、よく見ると、飴がけのフルーツがちょっと小さい。イチゴは見ればすぐにわかったが、もう一つはなんと、プチトマト。そのプチトマトには切れ込みが入れてあり、ドライ梅が挟まっているのだった。これがまた、周りの甘い飴と、トマトの甘酸っぱさと、梅の食感が絶妙なコンビネーションで、ついつい癖になる美味しさ。屋台のランプの下でギラギラ並ぶ赤い塊はいつ見ても毒々しいけれど、この春再訪した台北でも、もちろん食べましたとも。

台北の食べ物は何もかもが美味しく、むちゃくちゃ幸せな気持ちになるが、屋台おやつの女王の座は断然これ。お茶や、小籠包や、台北に言ったら欠かせないものがいくつもあるが、このお菓子もそのひとつ。もし私が溥儀だったら、冰糖葫蘆を与えられたとたんにどんなコワモテのばーちゃんが眼の前にいたとしてもヘラヘラ笑ってベトベトしたそれにパクついたかもしれません。

【登山】鎌倉アルプス(20131207)

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鎌倉アルプスで山歩き。12月なので登り納めとして。

まだ紅葉が残っていて、歩いているとぽかぽかしてくる、気持ちの良い一日でした。
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出発は建長寺。チベットの寺院を思い出す、色布のなびき具合。
お坊さんに、天井に龍がいることを教えてもらった! 言われないと気づかないよ!
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紅葉を眺めながらのんびり山歩き。あらやだハイヒールできちゃったわ、みたいな人ともすれ違いましたが、少なくとも運動靴くらいははいてきたほうが良い道程です。
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最後は鶴岡八幡宮からの夕日を眺めてすっきりと一日を終えました。ああこんな近場で登山も良いね。
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【登山】筑波山(20140315)

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2014年山はじめは、筑波山からでした。
昨年のキナバル山アタックで知り合った方々のご縁で、山歩き。
昨年は「山友達ができないから一人で行くしかないなー」と思っていたのですが、
なんとなく同行できる人を見つけられてよかったよかった。

天気もよく、好きな木の枝に透ける青空がまぶしい一日。

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梅から咲き始めている時期で、木々の枝ももうすぐ芽吹きそう。

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1000メートル以下の低山でも、こんな景色が見られるのが山登りの魅力。
ながく、ゆるく、今年も続けようっと。

【Bali】Sea in Sanur

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バリ島サヌールのビーチにて。2014年3月のカレンダー画像はこれを使いました。
この写真は、なんか自分でもすごーく気に入っているのだが、サヌールに行ったことのある人に皆「こんな場所あったっけ?」と尋ねられる。
もちろんこんなグリーンな海があるはずはなく、かなり加工している、ウソッコ写真なのであるが。

この写真、海の真ん中の沖のほうに棒っきれのようなものが立っているのが見えるが、これはペンジョールといって、バリヒンズーの宗教的なもの。海の中にペンジョールが立っている場所があるんだよ、と、その昔、私の周囲のバリ島フリークの間で静かな話題となった。その話を何度も何度もするほど、この場所を気に入っていた人がいた。非常にロマンチストであり、思いやり深く、ピュアであり、人気者であった。
その彼は数年前、病気で亡くなってしまった。
海のペンジョールの話は、彼から耳にタコができるほど聞かされていたが、実際にはちらっと見たことがあるくらいだった。しかし、彼の話が記憶を浸食したようで、私の中で、現実なのかどうかわからない「海の中のペンジョール」が膨らんでしまっていた。そのイメージがこれ。

彼亡き後、またもやサヌールビーチに滞在した私は、ヒマにまかせて毎日、朝夕海岸を散歩した。海の中のペンジョールは健在だったが、本物のは、膨らんだ記憶よりもずっと遠く、小さく、しょんぼりした感じだった。まあでも、記憶なんて美化されていくものなんだし、この写真が私にとっての本物って思っている。