2014年10月、昔から行ってみたかったポーランドへ旅行しました。
なぜポーランドへ行ってみたかったのか。まずはその3つの理由からご紹介。
ワルシャワという言葉の響きが好きだった
旅行好きの友人と良く言い合うのが、「土地の名前にときめく場合は、たいていその土地が好きになる」ということ。たとえば、インドの”ハリドワール””ダラムサラ”なんて、名前を聞いただけでドキドキしたし、”イスタンブール””レバノン””ブエノスアイレス”なんてのもそう。
そして私は昔から”ワルシャワ”という名前にドキドキするたちだった。旧社会主義国家、東欧の、複雑でやや暗いイメージ。伝説のパンクバンド・スターリンの曲名「ワルシャワの幻想」や、ニュースでよく耳にしていた「ワルシャワ条約機構」なんてのも、その響きに含まれる硬質さがなんとも言えない。学生時代は社会の教科書を眺めながら、ワルシャワって行ってみたい、と呟いていた。大人になってから、アジア旅にはまってしまったので、私の世界における最西部はトルコだったのだが、バックパッカー旅からはじめてそろそろ20年。このたびめでたくヨーロッパ初上陸を果たすにあたり、選んだ国は憧れのワルシャワがあるポーランドでした。
ボリスワビエツの食器に惹かれた
今や日本でも大人気となったボリスワビエツの食器ですが、数年前まではそれほどでもなかったと記憶しています。私はあるお店でこれが紹介されているのを見つけ、なんと好みにぴったり! と思ったものですが、その値段を見て「平民には買えません・・・」と涙を飲みました。その時に思ったのです。「ポーランドまで買いに行ってくる・・・」と。思い続けていれば、夢は実現するものです。
アウシュビッツに行ってみたかった
それは子供の頃、家の本棚にあった「アンネの日記」を読んで、「うそ。こんな酷いことがあった?!」とショックを受けたのが始まりでした。それ以後、「夜と霧」や、ゲシュタポ、ナチスに関する本をいくつか読み、地元の博物館で開催された「アウシュビッツ展」を観に行き、大学の心理学の授業で「アイヒマン実験」を知り、数々の映画を観て、そこから、社会の授業ではあまり触れなかった大戦前後の近代史に興味を持ち始めました。
大人になって自主的に学んでみると、縄文・弥生時代や鎌倉幕府あたりにばかり時間をとり、我々が最も知るべきである近代の歴史・親の世代の戦争の歴史を、社会の授業というのはすっ飛ばしていたことにビックリでしたわよ。これはアジアの国に行っても感じることで・・・おっと脱線。とにかくそうして近代史に興味を持つきっかけとなった「アンネの日記」の舞台を、ぜひこの目で見たかった。
さらに2010年に発生した、ポーランド空軍Tu-154墜落事故。この新聞一面トップ記事を見て、ポーランドの大統領夫妻が亡くなったこと、夫妻は「カティンの森事件70周年追悼式典」へ向かう途中だったことを知り、そこから「KATYN」の事件を知りました。「灰とダイアモンド」「地下水道」で有名な、アンジェイ・ワイダ監督が撮った映画「カティンの森」や、その事件を扱った本を読んだりして、それらがこの世に起こった事実であることに強く震撼させられました。
ちょっと話が進んでしまいましたので戻すと、そんなわけで、私が歴史に興味を持つ根源となったホロコーストの現場を、一度訪れてみたかったのです。
歴史というのは、そのときの人の解釈によって変えられていくものです。なので、史実をそのまま保存し伝承するのは難しいものですが、歴史から学べることは多く、また何であれ「興味を持つ」ことは大切なことだと考えます。なので、私は行ってみたです。そして行くべきだったし、行ってよかった。
以上が、ポーランドだけで10日間の旅をするという、他の人から「なぜ」と言われる行動に出たのはこういうわけです。
いつも一人旅の私ですが、今回は姉と二人。姉妹で旅するのなんて、10年以上ぶり。うちの姉妹は非常に仲が良く、興味の方向も似ているので、人と行動するのが苦手な私でもストレスがなく楽しい旅行となりました。いや寒かったけど。
ポーランド出発は羽田空港からカタール航空ドーハ経由で。もともと空港という場所が好きである上に、深夜便というのはわけもなく気分が上がりますがなぜなんでしょうね〜。
案内版の「ドーハ」という行き先表示だけでもワクワクしてきます。ドーハってドーハの悲劇のドーハでしょ、ってくらいしか見識がありませんが、まずはトランジットの地に向けて出発したのでした。
おまけ
旅行前、資料作りが好きな私ですから。
全24ページのポーランドのしおりをせっせと作り、旅に備えました。
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