【台湾】Smartphone中毒

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アジアの国を一人で旅するとき、いつも、ああ鬱陶しいと思うことがありました。
人懐っこく、外国人に興味があり、何かと世話を焼いてくれるその地の人に感謝をすることは多々あれど、ぶらっとただ町並みを見て歩きたい時、写真を撮りたい気持ちが高まっている時、ちょっとした心配事に思いめぐらせている時、他人と話す余裕がない時でも、アジアの国の人々は、私を放っておいてはくれません。ええ、それはモテるとかそういうこととは別の意味で。

アジア名物、平日の昼間から道端でヒマそうに座っているおっちゃん群。市場で売り売りのおばちゃんたち。ナンパ半分商売半分、興味本位半分の兄ちゃんたち。カフェでコーヒーを運んできてそのまま「どこからきた」「いつきた」「いつまでいる」と判で押したように同じ質問をするウエイトレスやウエイター。イスラムの国はまだマイルドだが、ヒンズーの国の人なつっこさといったら、滞在中は「うおー、ちょっと一人にしてくれや!」と思ったりもするが、日本に帰ると見知らぬ人と話すことがなくなり、寂しくなったりもする。

しかし、何度目かのインド滞在時、あれ? 今回は話しかけられる回数が減った、と思ったことがありました。地下鉄が走り、シネコンができ、郊外型大型ショッピングセンターが建てられる、発展めざましいインドだから、人も先進国的にマイルドになってきたのかもなあ、と。それは、その後再訪したマレーシア、インドネシアでも、同じことを思った。

いやいやいや、人がマイルドになったのもそうだけど、それだけじゃない。みんなケータイを手に持っているからだ。
今や、誰もがスマホを手に、画面を眺めている。その結果、以前のように、目をあわせて意味もなくにっこり笑いあうこと、お店の前でぼんやり外を眺めてるおっちゃんと立ち話をすること、顔を何度か見たことあるだけのお兄ちゃんに根掘り葉掘りプロフィールを聞かれることが、だんぜん少なくなった。

みんながスマホばかり見てなんだか世の中寂しい、的なことをアピールする動画が、Facebookでシェアされて、それをみんながスマホで見ているっちゅうパラドックス。スマホを眺めている人たちは、周囲を歩く人への興味を失って自分のことばかりに集中しているように見えるけれど、スマホの画面から見える他人の挙動には興味を持っている。市場で店番をしているおっちゃんも、お客が来ない手持ち無沙汰をスマホで解消。画面の向こうで何かが動いていることで、ちょっと安心することだってある。

一人旅が好きで、一人で自由に好きなところへ行くことを愛していた私だが、必ずその土地で、友達や顔見知りを作るようにしていた。海の向こうで使う言葉も違う人と、お互い不自由な言葉を操りながらちょっとしたことを話すのがとても好きだった。そう考えると、やはり少しさみしい。

とはいえ。

スマホのない時代よりも友達は作りにくくなったが、以前ならメールアドレスを交換してそれっきりになるところを、ソーシャルネットワークでその後ずっと繋がるようになった。もう、意味もなくたくさんの人と触れ合うことはなくなったかもしれないけれど、旅のコミュニケーション自体が形を変えたともいえる。インドで知り合りあった大学生、バリで知り合ったボヘミアンなねーさまとも、めったにメッセージをかわすことはなくても「今何してんのー」くらいは覗き見ることができたりする。それはそれでちょっと楽しみではあるわけで。